演劇研究者である笹山敬輔さんが、ザ・ドリフターズを演劇・舞台の観点から読み解いた著書『ドリフターズとその時代』(文春新書)を上梓した。出版を記念して、本書で紹介されている同氏による高木ブーさんへのインタビューを再公開する。(全2回の2回目/前編を読む)
(初出2018年7月29日。年齢、日付、肩書きなどは掲載当時のまま)
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なぜ高木ブーといえば、ウクレレになったのか?
―― 高木さんといえば、ウクレレ&ハワイアンブームを起こしたミュージシャンとしてもご活躍ですね。
高木 これはね、許可をもらったの。ドリフは単品で仕事をするってことがありえなかったんですよ。でも、『ドリフ大爆笑』がひと区切りついて、もう好きなことしていいよってなった。そこで何をやろうか考えて、「そうだ、昔やってたハワイアンがある」って。だから、ドリフのメンバーも僕がウクレレ弾くって知らなかったと思う。
―― 1999年にNHKでウクレレ教室の番組が始まりました。
高木 よく探してくれたなと感謝してます。でも、おかしいんだよ、NHKなのに“雷様”で出てるんだから。
―― 高木さんのミュージシャンとしてのルーツは、ウクレレなんですね。
高木 戦争が終わって2、3年経った頃、15歳の誕生日に兄貴がウクレレ買ってくれたんだよ。そしたら、そのころ千葉の柏にいたんだけど、増田進って人から「ハワイアンやろう」って誘われたの。それで初めて、ウクレレを弾いた。
―― きっかけは偶然だったんですね。
高木 何の気なしだね。ちょうどハワイアンが流行し始めてて、高校時代もウクレレサークルを作った。そしたら同級生にすごい上手い親友がいてね。彼がプロになって良いバンドに入ったんだよ。僕も中央大学卒業後は、彼との繋がりがあるから、同じプロダクションに入った。