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「コマネチ」を披露するひょうきんな女の子だった

「小学校の時から大柄な女の子でした。明るい性格で、人気者で“お笑い担当”という印象です。あだ名は『えーしゃん』。誰が呼び始めたか分からないですが、たぶん『恵美子ちゃん』から『えーしゃん』になったのだと思います。みんなから慕われていました。

 えーしゃんの好きなテレビ番組は『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系、1981~89年)。放送があった次の日には学校でその話題を持ち出してクラスで笑いを取っているムードメーカーでした。女の子だけど、当時、流行っていたビートたけしさんの『コマネチ』のギャグも照れることなく披露していた。

「えーしゃん」と呼ばれた小学校時代の赤堀恵美子容疑者 ©文藝春秋

 えーしゃんとは外で遊ぶというよりもそういったテレビを見て、そのモノマネをしたりして、家で一緒に遊ぶことが多かったですね。自分でボケて自分で『ひゃひゃひゃ』という特徴的な笑い方をしていたのを覚えています」

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 中学ではソフトテニス部に所属し、部活と勉強に真面目に取り組んでいた。一方で今回の事件につながるような“虚言癖”も垣間見えたという。

「『○○を買ってもらうんだー』と高価な物を買ってもらうということをしきりに周囲に自慢していましたね。本当に買ってもらっていたかどうかは確かじゃない。とにかく、そうやって注目を浴びて、クラスの中で上位になる、マウントを取るのが好きだったんだと思います。

 えーしゃんの中で、自分の価値を高めることは、ある種の“自己防衛”だったのかもしれません。“長いものには巻かれる”性格で、相手をみて態度を変えていた。イケイケな子たちには媚びている感じがありましたし、一方で、自分より立場が低いと思っている子を『パンを買ってこい』とパシリにしていたこともあった。

「パン買ってこい」と友達にパシリをさせていた中学生時代の赤堀恵美子容疑者 ©文藝春秋

突然、地元スナックのママに

『高校は私立に行きたい』と言って、中学の同級生があまり進学しない(大川)市外の高校へ進学しました。高校入学とともに連絡も一切なくなってしまった。ですが、“悪い噂”は頻繁に入ってきました。

 たとえば、えーしゃんの高校はバイト禁止だったのにもかかわらず、飲食店でバイトをしていた。それが高校の友人にバレてしまい学校にチクられてしまったとか。それを逆恨みしてその生徒をいじめていたということもあったそうです」(同前)

 高校進学と同時に地元とは疎遠になった恵美子だが、20代で突然地元でスナックのママを始め、同級生のあいだで話題になったこともあったという。