「当時は弾劾訴追されていた朴槿恵元大統領時代でしたが、政府もまさかの原告勝訴に驚いて、困惑していました。それは当日に控訴したことからも読み取れます」
原告側が主張する「奪われた根拠」
控訴審は、17年3月から始まった。被告である韓国政府は、仏像に腹蔵されていた記録と仏像を所有していた高麗時代の浮石寺と現在の寺が同一かなどの問題提起をしたが、この間、仏像そのものの真贋まで検証するなど事件の本質とはかけ離れた弁論が繰り返されてきた。
今回の控訴審の後、浮石寺のウォヌ前住職はテレビに出演しこう訴えている。
「わたしたちは一審から一貫して仏像が正当な交流で渡ったものならば観音寺の所有であることを認めるが、そうではなく奪われたのであれば浮石寺の所有であると主張してきました。
浮石寺がある端山市一帯が高麗時代に倭寇の襲撃を受けていたという歴史的な記録と、日本の九州大学の教授が記した書物に観音寺を建て仏像を奉った人々が倭寇の家門であるという記述があり、これを(仏像が)倭寇に奪われた有力な証拠としています。そうした証拠と歴史的な記録に基づいて所有権を主張している」(KBS大田、6月15日)
判決がどちらの勝訴になっても上告は必至か
この事件は犯人が仏像を売り飛ばそうとしていたことからも分かるように、本来はあくまでも窃盗事件だ。
観音寺の田中住職は控訴審で「浮石寺の法的な意味での所有権成立の立証が不十分であり、日本および韓国の民法において取得時効が成立しており、仏像の所有権は観音寺にある」と訴えた。
そして、1950年代に観音寺を建てた人物が当時、朝鮮に渡って譲り受けたと代々伝えられて来たと話し、「仏像は檀家の拠り所で長い間大切に守られ、幼い頃には寺の本堂で溢れんばかりのこどもたちと檀家の人々と一緒に観世音菩薩坐像に祈りを捧げてきた」とその歴史も語った。
裁判では、浮石寺が観音寺設立の際の証拠となる記録を観音寺側に求め終了した。しかし、浮石寺とて仏像が奪われたとする確固たる証拠はない。大田高裁はあと1回の弁論で結審に持ち込むとされるが、判決がどちらの勝訴になっても上告は必至だろう。仏像返還にはまだ時間がかかりそうだ。
※一部表現を変更しました(2022/6/18 23:05)。