みなさん、こんにちは! 埼玉西武ライオンズOBの米野智人です(ヤクルト→西武→日本ハム)。

 昨年からライオンズの本拠地ベルーナドームのライトスタンド後方でピンクのお店「BACKYARD BUTCHERS」を営業させていただいています。いつもご来店くださっている皆さま、本当にありがとうございます。

 今季、3年ぶりのリーグ制覇を狙うライオンズは上位につけている。後半戦で逆転優勝を果たすために期待したい一人が、投手兼コーチの内海哲也だ。

ADVERTISEMENT

内海哲也

 プロ入り19年目で、1982年生まれの40歳。同世代には元ライオンズで現在は巨人の“ナカジ”こと中島宏之、同じく元ライオンズの片岡治大、内川聖一、攝津正、亀井善行、畠山和洋など錚々たる顔ぶれがそろうなか、内海はまだまだ健在だ。5月に2度先発してから登板機会は遠ざかっているものの、ネットでは「内海のピッチングを見たい」という声を目にする。

 長いキャリアを誇るベテラン左腕の「内海哲也」。その名を聞いて、みなさんはどんなイメージを思い浮かべるだろうか。

 ジャイアンツのユニフォームを着ている内海哲也?

 それとも、ライオンズに移籍してからの内海哲也?

 おそらく、ほとんどの方がどちらかだろう。

 が、しかし……僕は違う。「内海哲也」と聞いて思い浮かべるのは、一緒に日の丸を背負って戦ったユニフォーム姿だ。

「おい! ちょっと待てぃ」(千鳥ノブ)

「米野、お前は何を言っている? 日の丸を背負って世界と戦ったことはないだろっ!」

 というツッコミが確実に聞こえてくる。

「No No No! 」

 みなさん、米野を侮らないでほしい(笑)。

 今から20年前の2002年。ワールド・ベースボール・クラシックが始まる前の国際大会として、キューバで行われた「インターコンチネンタルカップ」という大会にプロアマ混合で一緒に出場しているのだ。ウソだと思ったら、ネットで調べてみてほしい(笑)。

荒削りのパワーピッチャーから、熟練のスタイルへ

 当時、僕はスワローズに入団して3年目でピチピチの20歳だった。かたや、1学年下の内海は社会人野球の東京ガスに所属していた。

 このときの日本代表チームはプロ16人、社会人4人、大学生4人。僕にとって初めての国際試合で、緊張とワクワクしたことをよく覚えている。

 監督は後藤寿彦さんで、慶應大学野球部を率いた頃に元ライオンズの高木大成さんや元ジャイアンツの高橋由伸さんを育てた。投手コーチは荒木大輔さん、打撃コーチは田尾安志さんだった。

 プロ野球から代表入りしたのは、中日の井端弘和さん、ジャイアンツの二岡智宏さん、阪神の濱中治さんなど“中堅”の方々と、若手では同級生で当時ダイエーの“ムネリン”こと川崎宗則、ライオンズ時代も仲の良かった“久ちゃん”こと高山久。当時はまだ大学生で、1つ上の長田秀一郎さん(現ライオンズ2軍投手コーチ)など後にプロで活躍したアマチュア選手もたくさんいた。

 チームは優勝を目指して戦ったが、健闘虚しく5位という不本意な結果に。だが、その後の野球人生にとって大きな経験になった。国際大会ならではの緊張感はもちろん、普段はなかなか会うことができない選手との交流もいい思い出になっている。

 内海はその一人で、年齢も近く、ピッチャーとキャッチャーという関係性もありすぐに仲良くなった。

 最も印象に残っているのは、開催地キューバに入る前にメキシコのリゾート地・カンクンで時差調整練習のために1週間くらい滞在したときのことだ。

 午前中の練習を終え、ホテルから歩いてすぐのビーチに一緒にクールダウンしに行くと、当時スワローズで1つ下の後輩である坂元弥太郎が一瞬、海で溺れかけていた。思わず、2人で顔を見合わせて爆笑した。幸い、まったく大事には至らなかった。

 あの時の内海の笑顔は、昨日のことのように覚えている。いつも明るく、人に優しい性格であることがすぐに伝わってきた。

 初めてブルペンで球を受けさせてもらったときも印象深い。ストレートは力があり、カーブは縦に大きく割れた。当時の内海は三振もとれるけれど、フォアボールも多く、荒削りのパワーピッチャーという印象だった。でも、間違いなくプロに進むレベルだと感じた。

 2年後の2004年、予想通りにプロへの道を選択し、自由獲得枠でジャイアンツへ。1年目は2試合に先発し、2年目に開幕ローテーション入り、3年目は12勝を挙げた。計15年のジャイアンツ時代は二桁勝利を7度達成、ベストナインや日本シリーズMVP、月間MVP2回、オールスターゲーム新人賞など輝かしい成績を収めている。

 プロ入りした内海は、アマチュア時代と別人のような投球スタイルに進化した。東京ガス時代は試合で使える球種が2、3個しかなかったように記憶しているが、ジャイアンツ入団後はカーブ、スライダー、ツーシーム、チェンジアップなど多彩な変化球を決め球に投球を組み立てる熟練のスタイルに変貌。本当に努力したんだろうなと、彼の投球を見ればその跡がよく感じられた。