昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

大手企業の内定を辞退して巨人にテスト入団 “最底辺”の育成選手が驚いた菅野智之、坂本勇人の言葉

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/07/12

 阿部慎之助さん、坂本勇人さん、長野久義さん……。小さい頃からテレビの向こう側にいたスターが、自分の目の前にいる。あの感激を今でもありありと思い出すことができます。

 たった3年のプロ野球人生。それも育成選手だった僕のことを知っている野球ファンなど、ほとんどいないでしょう。

 今回はプロ野球選手として「最底辺」にいた僕の目から見たプロ野球の世界、巨人で出会った人々について書かせてもらいます。

実績ゼロの就活生がプロテストに挑戦

 まずは僕のプロ入りの経緯について記させてください。大学(関西大)でのリーグ戦出場は代打での1試合のみ。今にして思えば、僕の野球に臨む態度も悪かったのでしょう。いくら練習や実戦で結果を残してもリーグ戦で使ってもらえず、僕はいつしか腐っていました。

 大学3年秋から就職活動に専念するため、グラウンドにほとんど出入りしなくなりました。大手企業から内定をいただき、あとは卒業を待つばかり。そんな時に、僕は自分の人生に疑問を抱きました。

「このまま就職して、いいのだろうか?」

 引っかかっていたのは、中途半端に投げ出した野球のこと。僕は内定を辞退させていただき、野球を続けたいと考えるようになりました。

 大学4年の夏、巨人が入団テストを開くことを知りました。僕は京都府出身ですが、祖父が巨人ファンだった影響からずっと巨人を応援していました。憧れの巨人に挑戦する最初で最後のチャンス。1年近くも野球から離れていましたが、母校である東山高校の練習に1カ月半ほど参加して入団テストに備えました。

 そのかいあってか、テストでは自分の持ち味である守備面を強くアピールできました。ドラフト指名される確約などありませんでしたが、ちょうど捕手が不足していたチーム事情もあって幸運にも育成ドラフト6位で滑り込みました。プロテストを受けたことは仲のいい友人数名にしか伝えていなかったので、大学野球部の同期は「どういうことや?」と混乱したようです。

 秋には東京ドームでのファン感謝デーで、新人選手のお披露目がありました。新人は東京ドームのVIPルームで待機し、高い位置からイベントを眺めます。眼下に広がる非日常的な空間に、「えらいところに来たな……」と身が引き締まりました。思えば、これが初めてプロ野球選手になれた実感だったのかもしれません。

現役時代の筆者・小山翔平(左)

エース・菅野智之からの驚きの一言

 プロのレベルは僕が想像していた以上に高く、驚きの連続でした。

 なかでもブルペンでボールを受けさせていただいた、上原浩治さんや菅野智之さんは衝撃的でした。上原さんは現役晩年で球威こそ衰えていたのでしょうが、フォークのコントロールは異常と言っていいレベルでした。

 僕が低めにミットを構えると、上原さんから「もう少し低く構えて」と指示されます。言われた通りの場所に構えると、そこへ本当にピンポイントでフォークを落としてくる。さらに「次はそこからもうひとつ落として、ワンバウンドさせるね」と言うと、その言葉通りにワンバウンドさせる。変化球を予言通りに操るコントロールに、驚きを通り越して恐怖すら覚えました。

 菅野さんのコントロールも、テレビゲームの『パワプロ』で遊んでいるかのように正確でした。菅野さんは調整のためよくジャイアンツ球場に来ていたのですが、いつもブルペン捕手に僕を指名してくださいました。僕は僕でファームの練習もあるのですが、1軍のエースからのご指名なので練習を抜けてでも捕球させてもらいました。

 ある日、ロッカールームで菅野さんはこう言いました。

「小山はマジで日本一キャッチングうまいと思うわ。みんなも受けてもらったほうがいいよ」

 周りには1軍で活躍するリリーフの先輩方もいました。キャッチングには自信がありましたが、まさか菅野さんに認めてもらえるなんて……。夢のような、ふわふわとした気分になりました。

z