《お粗末で身勝手な内容だ。》《説明責任の回避に終始し、およそ人々の理解を得られる内容になっていない。》
森喜朗前会長の女性蔑視発言に関しては、
《まるで功績であるかのような総括には、開いた口がふさがらない。》
激おこです。しかし、この社説を読んでいて思うのだ。朝日新聞は東京五輪のスポンサーだったよね? しかもオフィシャルパートナーという「太い」スポンサーだったよね、と。せっせと五輪師匠の片棒を担いでいたではないか。
ところがこの社説の他人事感はなんなのだ。スポンサー視点から一切触れていないのはなぜだ。本当はおいしいイベントだったと思ってません?
報告書のひどさをこれほどまでに指摘するなら、逆に東京五輪に対して素直な恨み節があってもよかったと思う。「思っていたのと違った」「運営がひどかった」「金を出して失敗した」という社説ならば切実だったろうに。それをせずに他人事のように書いている。お粗末で身勝手な内容で、説明責任の回避に終始しているのは朝日社説も同じなのである。
後手にまわった「アリバイ作り」
今回だけではない。昨年、五輪開催が近づくにつれ、朝日社説が“アリバイ”を作ろうとする様は見ていて興味深かった。拙著『お笑い公文書2022』ではその迷走ぶりにも言及しているのだが、ここでちょっと紹介しよう。
朝日新聞は昨年5月26日に五輪中止を求める社説を掲載したが、その道のりが野次馬の私にとっては面白かったのである。まず注目したのは、昨年5月14日の朝日新聞のオピニオン欄だ。慶応義塾大学の山腰修三教授(ジャーナリズム論、政治社会学)が五輪開催の是非について「朝日は立場を示せ」と書いたのである。