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東京五輪スポンサーの責任逃れ…? 朝日新聞社説の“独特すぎる文体”に隠された「ずるい心理」

2022/06/28
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《5月13日現在、朝日は社説で「開催すべし」とも「中止(返上)すべし」とも明言していない。(略)社説から朝日の立場が明確に見えてこない。内部で議論があるとは思うが、まずは自らの立場を示さなければ社会的な議論の活性化は促せないだろう。》

 ああ、言われちゃった。しかもこのあと地方紙が五輪開催についての社説を掲載。

『東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ』(信濃毎日新聞2021年5月23日)

『東京五輪・パラ 理解得られぬなら中止を』(西日本新聞2021年5月25日)

 念のために言っておくと、私は五輪中止を訴えたから地方紙がすごいと言っているのではない。慶大教授が求めたように「自らの立場を示した」から熟読したのだ。これらの社説がSNSで拡散されたのも同じ理由からだろう。

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 前述のとおり、朝日は昨年5月26日の社説で『夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める』と立場を示した。話題になったが、地方紙より遅れた。もちろん、社説はネタによっては論説委員が何日も何カ月も議論をして準備をしているだろうから慌てて掲載したわけではないとは思う。しかし絶妙に遅れた感があったのは事実。

独特すぎる、朝日社説の言葉づかい

 さて、その点を頭に入れると、今度は朝日社説の独特の文体が面白くなる。東京五輪の開催中止を求めた日の社説に、こんな一節がある。

《社説は、政府、都、組織委に説明するよう重ねて訴えたが、腑に落ちる答えはなかった。》(2021年5月26日)

 ここで注目したいのは「社説は」という言葉づかい。自分のことを「社説」と呼ぶのです。なんかアイドルみたい。私はこの発見にワクワクしてしまった。