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――山本先生も影響を?

山本 自分の内面的な部分ではかなり影響を受けましたけど、作品には落とし込めていないです。ただ、「○○だろ!」みたいなツッコミは、うすた先生の開発だと思うので、そういった面では影響がありますかね。

――『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』は「少年ジャンプ」1995年52号から1997年40号までの全79回、1年半くらいの連載でした。

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山本 その短い期間であれだけ爪痕を残したんですね。というか、『COOL』の連載第1回と『マサルさん』の最終回が同じ号なんですね。すごい!

――他に影響を受けたギャグマンガはありますか?

山本 ギャグマンガで尊敬している人が3人いて、うすた京介先生、木多康昭先生(『幕張』『泣くようぐいす』など)、古谷実先生(『行け!稲中卓球部』『僕といっしょ』など)です。この3人の本は全部買っているし、取っておいてあります。私、高校生の時にバイクの免許を取っているんですけど、あれは古谷先生の『グリーンヒル』を読んで影響を受けたからなんですよ。

『COOL』の連載第1回が掲載された「少年ジャンプ」1997年40号を読む山本さん

――山本先生の高校生時代は、ちょうど『NANA』(矢沢あい)ブームでしたが。

山本 あー、クラスのギャルが教室に持ってきていましたね。もちろん読んだことはありますけど、私はギャグマンガでした。

マンガを描き続けた幼少期

――マンガはいつから描いていましたか?

山本 小さい頃からカレンダーの裏とかノートとかに描いていました。『美少女戦士セーラームーン』(武内直子)を真似たようなバトルものが多かったと思います。小学生のときに放課後のクラブ活動でマンガクラブに所属し、紙に穴を開けて紐でとめるくらいに分厚い量を描いていましたよ。それは妖精の出てくるファンタジーものでした。

――それはまだ手元に残しています?

山本 それが、お父さんに捨てられてしまったんですよ。高校生のときの引越の際には、山のような束が3つくらいあったんですけど、ダンボール箱に入れるという発想がなくて、袋に入れて運んでもらおうと思っていたんです。そうしたら、お父さんから「ゴミだと思った」と捨てられてしまい、それはかなり悲しかったですね。