金を吸い上げられた孤独な被害者
金田は、この団地ですぐに若い日本人男性と同棲を始める。この男が事件当時、金田と同居していた男である。男を取り調べた元刑事B氏によると「この男は気が弱く、金田に手足のように使われていた。団地の共同作業もこの男だし、娘の面倒をみていたのもこの男。近所の人の証言によると『まるで主従関係のようだった』」。
娘は自分の面倒を見てくれる男に、とてもなついていたという。
一方の金田は、連日趣味である競艇場通いをしていたようだ。お金をすってしまうと、競艇場近くのバス停でバスを待つ60~70代の年配の男性に声をかけ、ホテルに誘っていた。一番上は78歳になる。
そこで金を取っていただけでなく、財布から金を盗んでもいる。中には盗まれたとわかっていながら、金田からの連絡がくると、のこのこ出かけて行った男もいたという。
「高齢男性には、コロコロ体型だろうがハーフだろうが、関係なかったようだ。年配の自分が女性と肌を合わせられるというだけで会いに行ってしまう。金を渡すのはいいが、財布からお金を抜かれては困ると靴の中に隠して会い行ったら、それまで盗られていたという笑い話のような話もある」(B氏)
コンクリート詰め殺人事件の被害者と金田の出会いも競艇場だった。孤独な被害者にとって唯一の趣味が競艇だったのだ。
金田が逮捕された時、週刊誌はこぞって被害者について書き立てた。被害者の身の上が悲しく可哀想だったこともある。一人息子は優秀だったが、公務員試験の前に高熱を出して失敗。それを悲観し自殺してしまい、1年後には妻が息子の後を追って自殺。一人になってしまった被害者に残されたのは、退職後、ローンを払い終えた一戸建と退職金など約5000万円だった。
「金田に声をかけられ、二人は男女関係になった。被害者はそこから金田に金を注ぎ込み始め、持っていた金はあっという間に金田に吸い上げられてしまう。足りなくなるとサラ金から金を借り、サラ金から頻繁に督促がくるようになると家を処分。多摩市連光寺に家を買った。この時の差益1000万円も金田に取られている」と、B氏は話す。金田はその金を競艇に使っていた。
なぜその場所だったのか。その理由をB氏はこう明かす。
「被害者と金田が一緒に家を見に行った時、その場所が四川省の田舎の風景に似ていると金田が言ったので、そこに決めたようだ」
金田と暮らすために購入した一軒家で、被害者は金田に殺されてしまったのだ。