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立件できなかった前夫の突然死

 金田は中国名を余発玉という。事件直後に日本国籍を取得しているため、報道などではすべて金田洋子となっている。余発玉は、四川省江津市出身、高校卒業後は仕事をしながら夜間大学に通っていたが、中退したとされる。その後は、四川省重慶市で売春婦をしていたのではないかと推測されている。

 重慶で日本企業に勤めていた日本人男性と知り合い、中国で結婚して来日。日本では婚姻届が出されていなかったため、観光ビザで入国。最初は千葉のアパートに住んでいたが、男性の親と折り合いが悪く、離婚。

 困った金田は、視察旅行で重慶を訪れたある県の市議と知り合い、泣きついて助けを求めた。市議から親戚筋にあたる40代半ばの知的障害を抱える男性を紹介され、結婚。結婚ビザを取得している。体験小説にも偽装結婚とあるが、おそらく偽装結婚だったと捜査に関わった刑事たちは見ていたという。

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自著のプロフィールに載っていた金田洋子の写真

 この結婚で、金田は保険金3000万円を手にした。結婚後まもなく、一緒に中国に帰省した夫が中国で突然死したのだ。警察は事件性を疑ったという。

「まず、北京に着いてすぐ、夫が転んで大怪我を負っている。転んだ原因はわからないが、この時は死なずにすみ、ふたりは金田の故郷重慶へ向かった。ところが夫はそこで突然死してしまう。中国の病院の死亡診断書には心不全と高血圧とあったが、夫には持病はなく病歴もなかった」(A氏)

 金田は夫を中国で荼毘に付し、中国の死亡診断書を日本の生命保険会社に提出。保険金3000万円を手にする。A氏によると「日本の警察は、殺人事件だと睨んで中国当局に照会したが、裏付けは取れなかった。中国の医師も死亡理由がよくわからないといい、それ以上の死因を調べることができなかった。日本の保険会社も当時は、中国で起きたこういうケースを調査し、確認するシステムがなかった」。

 日本の警察は夫の突然死について、事件として立件することができなかった。

 そして金田は日本に帰国し、死んだ夫の子どもだといって、女の子を出産した。日本人を父親に持つ子どもが生まれたため、金田には定住ビザが与えられた。保険金3000万円を手にし、母子家庭のため国からの援助も受け、多摩市の団地に優先入居している。