「後悔しないというわけではない。けれども、後悔しても、起こってしまったことは変わらないという現実をできるだけ早く受け止めたほうが次につながる。そういう意味で、過去をマイナスにとらえて振り返るということをしないようにしている」
なぜ元阪神の鳥谷敬はどんなピンチでも常に冷静沈着でいられたのだろうか? 彼が自身の野球人生や生き方について綴った新刊『明日、野球やめます 選択を正解に導くロジック』より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
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これまで、あまり自分の考えを口にしないようにしてきたし、今でもSNSなどで自分から情報を発信していない。もともと、そんなに自分のことを知ってほしいと思うタイプではないのだ。考え方も極端なところが多いし、興味のあることとないことがはっきりしすぎている感も否めない。ただ、周りの意見に流されない、いい意味での頑固さのようなものは持ち合わせているつもりだ。
ここまで野球を通して述べてきた自分の考え方や感覚と同じような話になるかもしれないが、自分がよく口に出す言葉、自分の考え方の基盤となるような言葉を、いくつか「極言」として挙げてみたいと思う。
決して、これが正しいということではない。あくまでも自分が個人的に思っていることだ。正しいか、正しくないかという観点ではなくて、こういう考え方もあるんだ、じゃあ自分はどうかな……と考える、ひとつのきっかけにしてもらえればと思っている。社会全体のあり方も、多様性を重視する方向に変わってきている。ひとつの価値観にとらわれることなく、自分で考え、自分で決めることで、何か新しい発想を生み出すことに結びつけてほしい。
悩むことがない
悩むということが、基本的にない。もちろん、その瞬間、瞬間で面倒だったり、腹が立ったりすることはあっても、それを悩みとはとらえていない自分がいる。マイナスな状況について考えていると、考えても結果は同じだから、もう考えるのはやめよう……という結論になってしまうので、他の人が言うところの悩むという段階に至らないだけかもしれない。
深く考えるということも、あまりしないほうだ。時間をかけて考えても、結局は結論が変わらないことが多いからだ。だったら「期限をここまで」と決めて、その瞬間に思ったことを選ぶようにしている。「あ、もうこれでいいや」という感じだ。深く考えたようなニュアンスで答えていても、実際には即断即決していることが多い。
ふと思うのは、「幸せってなんだろう?」ということだ。汚い話で恐縮だが、例えば急にトイレに行きたくなった時、無事にトイレで用を足せただけでも十分に幸せだ。その瞬間、その状況をなんとか乗り越えただけで幸せなのに、なぜ大きな幸せを考えないと、物足りない気がするのだろう。