ユーミン『12月の雨』のコーラスがきっかけで…
山下「ただ、たとえ背景が違っていても、音楽をやってる者同士の“縁”が不思議な繋がりを作っていったのが70年代の音楽業界のおもしろいところで、僕の場合だと、たとえばユーミン(松任谷由実)がそうですね。彼女と知り合ったのも坂本君と同じ1974年頃です。彼女が結婚して松任谷姓に変わる前、荒井由実として活動していた時代。『12月の雨』という曲のコーラスを依頼されたのがきっかけだった」
――ユーミン初期の名アルバム『MISSLIM(ミスリム)』収録の曲ですね。
山下「ちょうど僕がコーラスのスタジオ仕事を始めたばかりの時で、あの時代、僕のようなタイプの男性コーラスは他に1人もいなかったんです。当時のスタジオミュージシャンのコーラスと言えばグリー・クラブ直系。一時代前のコーラス・スタイルしかなかったので、ロックやフォークのコーラス仕事は相当数やりました。
ユーミンから声がかかったのも、僕がバックコーラスで参加していたライブを、たまたま彼女が観に来ていたからなんです。そのとき一緒にコーラスをやっていたのが、僕が当時やっていたバンド、シュガー・ベイブのメンバーの大貫妙子さんと村松邦男さん。“あのコーラスは誰? おもしろいから呼んできて”ということになって、3人してレコーディングに参加することになった。
縁は異なもので、そのちょうど1週間前、ター坊(大貫)が仕事で吉田美奈子さん(シンガー・ソングライター。70年代半ば以降、山下の作品に歌詞を提供)と初めて会ったんです。その流れで美奈子もユーミンのレコーディングをのぞきに来て、彼女も結局コーラスで参加することになった」
矢野顕子さんも“鈴木顕子”名義で参加してます
――「あなただけのもの」「生まれた街で」「たぶんあなたはむかえに来ない」など、『MISSLIM』の決して“匿名的でない”コーラスが、今ではあり得ないくらい豪華な顔ぶれだったのには、そんないきさつがあったんですね。
山下「ター坊、美奈子と並んで、矢野顕子さんも“鈴木顕子”名義で参加してますから」
――そういう現場での出会い、ダイナミクスがあってこそ、70年代のポップスの質が飛躍的に向上した。
山下「当時は生活のため、少しでもお金を稼ぎたくて無我夢中でやっていたんだけど、結果的に質的な向上につながった面は間違いなくある。あとはCMの仕事。シュガー・ベイブ解散後ソロになってからも売れない時代が70年代末期まで続いたので、CM音楽もずいぶんやりました」
筒美京平を怒らせた男
――現在でもドラマや映画の主題歌など、広い意味でのタイアップ曲を手掛けられてますよね。
山下「厳密に言うと、僕はシンガー・ソングライターじゃないんです。作曲家、あるいはプロデューサーとしての好奇心のほうが大きいし、向いているとも思う。近松(門左衛門)のような、というと口はばったいけど、要は“座付き作者”ですよね。自分が前に出るより、誰かをバックアップして、その人の才能にプラスアルファする。そういう役回りにいずれは落ち着いていくんだろうなと、かなり後になるまで予想していました。ありがたいことに、今もって自分名義の作品を発表することができて、受け入れていただいてもいるんですけど」
――“座付き作者”とおっしゃいましたが、ジャニーズ・アイドルにも数多く作品提供されています。KinKi Kidsの「硝子の少年」であったり、あとは何といっても近藤真彦さんに書いた「ハイティーン・ブギ」であったり。