『すいません、先生。オリコン1位を取れないんで』
山下「歌謡曲の作曲ということで言ったら、僕なんか、いまだに小僧っ子ですけどね。『ハイティーン・ブギ』にしたって、筒美京平さんだったらどういう風に書くだろうって、その一点で考えてますから。『硝子の少年』もしかりで、そういう意味では筒美さんの生徒みたいなもので。
筒美さんがマッチ(近藤真彦)の曲を仕上げていく現場は、かなり見学させていただいてるんです。当時所属していたRCAのディレクターの小杉理宇造さんは僕の担当だったけど、同時にマッチも担当していたので。小杉さんはマッチのレコーディングのプロデューサーで、『スニーカーぶる~す』の演奏を切り張りして、筒美さんが当初書いた曲の進行を変えたと聞いた時には驚きました。温厚な筒美さんもさすがに不満をもらして。今ならエディットという分野の話ですけど、当時はあり得なかった。しかも筒美さんの曲ですよ(笑)。でも、小杉さんは『すいません、先生。けど元のままじゃ、オリコン初登場1位を取れないんで』って」
――すごい逸話ですね。
山下「当時のアイドル歌謡には、そういう名物ディレクターがいたんですよね。小杉さんしかり、山口百恵を手掛けた酒井政利さんしかり。
痛感したのは、アイドルというのは歌唱力うんぬん以前に、どれだけの“切迫感”を歌に込められるか、その一点にかかっているということなんです。マッチだったら『ブルージーンズ メモリー』で“バカヤロー!”と絶叫するくだりとか」
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山下達郎さんのロングインタビュー「坂本君と大瀧さんと…70年安保世代の音楽交遊録」の全文は「文藝春秋」8月号および、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。