文春オンライン
「『BISTRO SMAP』で作るからレシピを母ちゃんに聞いたら…」 草彅剛の“食べるとなぜか調子が悪くなる”家庭の味

「『BISTRO SMAP』で作るからレシピを母ちゃんに聞いたら…」 草彅剛の“食べるとなぜか調子が悪くなる”家庭の味

映画『サバカン SABAKAN』の世界#2

note

たこ焼きのレシピを教えてくれって母ちゃんに電話したら

金沢 何が入ってるんですか(笑)。

草彅 それ、聞いてみたことがあるんですよ。10年くらい前に『BISTRO SMAP』でたこ焼きを作ることになって、レシピを教えてくれって母ちゃんに電話したら、「草彅家秘伝だから教えられない。あんたに言うとテレビとか雑誌で喋っちゃうから」って。

一同 (笑)

ADVERTISEMENT

草彅 別にそれほど知りたくないんだけど(笑)。だけど得意になってる母ちゃんがおかしいから、今でも「たこ焼きのレシピ教えて」ってわざと言うの。そうしたら「教えない」って言うわけ。

 

金沢 素敵です。こういう個人的な話って面白いですね。それこそ「人」が出るというか、その人にしかない個性の輝きを感じます。

草彅 金沢さんは子供の頃、アイドルが好きだったんですか? 映画の中で、斉藤由貴さんのポスターが出てくるじゃないですか。

金沢 僕はアイドルにはまったく興味なかったんです。父ちゃんが好きだったんですよ。

カレー屋を始めようとしていたら、電話が鳴り…

草彅 じゃあ、時代を象徴する存在としてあえて入れたんですね。

金沢 そうですね。僕はちっちゃい時から、お笑いが好きだったんです。タケちゃんマン(『オレたちひょうきん族』)の世代なので、たけしさん、さんまさんが大好きで、芸人さんに憧れていて。芸人になったのは23歳の時で、ワタナベエンターテインメントにお世話になって1年半ぐらい経った頃に、オーディションに受かって『あいのり』に出ることになったんです。

 

草彅 その話、前にちょっと聞きました。番組では「金ちゃん」ってモテない男の子だったんでしょ。

金沢 収録2日目で一緒にバス旅してる女の子を本当に好きになって、すぐフラれました。ただ1年ちょっと旅して日本に戻ったら、もともと僕は芸人なのに「なんで素人がお笑いを始めたの?」って感じになって、全くウケなくなっちゃったんですよ。

 完全に自信をなくして、事務所も辞めてカレー屋さんを始めようとしたんですね。で、浅草の合羽橋でカレー用の寸胴を見ていたら、電話が鳴って、事務所の先輩で面倒を見ていただいていたネプチューンのホリケンさんで。「『笑う犬の発見』ってコント番組が始まるから、構成作家として中に入ってみれば? 金ちゃんは書く才能があると俺は思ってるから」と。実はその日、別の人からもう1本、「和田アキ子さんのラジオの構成作家をやらないか?」という電話も入ったんです。