「4番のバッティング見せてやれ!」と誰かが叫んだ
H町の町営野球場は小高い山の上にある。H高は普段からここを練習に使っていた。球場は内野席も手書きのスコアボードも備えている。外野は芝生席だ。
内野席でユニフォームに着替えた。午前9時。雲がなかった。スプリンクラーが水飛沫を踊らせ、淡い虹を描く。H高の選手たちが外野でダッシュを繰り返していた。イモッチは走り方ですぐにわかる。
試合前のシートノックは緊張した。『キャプテン』で谷口君が青葉学院に行った時みたいだと思った。あいつ、O中の万年スコアラーだっぺ?
C高は先攻で一塁側。H高の先発投手は1学年下のオーバースローだった。
2打席目だったはずだ。
初球、カーブが外角に外れた。「4番のバッティング見せてやれ!」と誰かが叫んだ。オーバースローが振りかぶる。
「どっしりとした構えで文句のつけようがない。もう少し腕の力を抜こう」
川上の声が聞こえる。
「軸脚に移動した体重は残したまま前足を踏み出す。そうだ。そのときに腕はまだ後方に引いたまま『ねじれ』を作れ。ユニフォームにシワができるはずだ」
直球。
「体重を徐々に前足に移しながらダウンスイング。インパクトの時、もう少し体重を前に。そう、それだ」
月に向かって。
インパクトの瞬間はほとんど感触がなかった。こんなことは初めてだ。打球が左中間へ上がったのはわかった。二塁打にしなきゃ、と思って懸命に走った。一塁を蹴ってから、野手の動きが止まっているのに気付く。全員が同じ方向を見ていた。「入(へ)ったど」とセカンドの選手に言われた。
イモッチがベンチ脇で、他の選手と中腰で声を出しているのは知っていた。三塁を回る時に顔を上げられなかった。嬉しさよりも恥ずかしさが先にあった。大杉ならスキップしてホームインしただろうか。
「やっぱ『大杉』だった」
試合後に両チームでグラウンド整備をした。僕は本塁周りにトンボを掛けた。
イモッチが水を張ったバケツを2つ下げてやってきた。
「やっぱ『大杉』だった」
彼は言った。言葉を交わすのは中学の卒業式以来だ。
「まぐれだよ」
「研究したんだっぺ?」
イモッチは満足そうに笑ってマウンドへ向かった。
大杉勝男はこの年の秋に38歳で引退した。
「最後にわがままなお願いですが」大杉はマイクの前で話し始めた。翌1984年3月の引退試合のセレモニーだ。「あと1本に迫っていた両リーグの200本塁打。この1本をファンの皆さまの夢の中で打たせてやってくだされば、これにすぐる喜びはありません」。
1992年4月30日、帰らぬ人となる。47歳だった。
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