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特別な夏の記憶――森岡良介が紡いだ父と私の物語

文春野球コラム フレッシュオールスター2022

2022/07/23

※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2022」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】k-yad 中日ドラゴンズ 31歳。

愛知県出身。本業の傍ら、アマチュア野球観戦をライフワークに掲げ、「中学生時代の根尾昂」を超える衝撃を追い求める日々を過ごしている。ブログ「ちうにちを考える」執筆陣の一員として、中日ドラゴンズについて執筆することも。

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「今から甲子園行かない?」

 2002年8月18日、私の一日は父の唐突な一言で始まった。しかも時計の針は朝の4時を指している。その日の対戦カードが告げられ、直ちに決断を迫られた。

「行く!」

 即決した理由は只一つ。明徳義塾の試合があるからだ。同級生が「モーニング娘。」に夢中になる中、私にとってのアイドルは、明徳義塾のショート・森岡良介。1年生から名門のレギュラーを掴んだ巧打者が登場する日は、テレビの前に釘付けになっていた。

 午前8時、梅田発の電車が甲子園駅に到着した。高架下を潜り抜けた先にあったのは、蔦が生い茂った深緑の景色。初めて目にする球場のシンボルは実に神々しい。日の出より早い出発だったため、道中は再び夢の中。電車を降りる際もウトウトしていたが、眠気は一瞬にして吹っ飛んだ。憧れの選手を観ることができる喜びと緊張も合わさって、興奮を抑えることはできそうもなかった。

待ちに待った第3試合、キャプテン・森岡に打席が回ってきた

 当日券を購入し、1塁側で空いている席を探したが中々座ることができない。日曜日かつ、第1試合が「智辯対決」だったからだろうか。しかも、改修前の甲子園球場は今以上に席の間隔が狭くて窮屈だったこともあり、より一層人間同士が密集していた気がする。両チームのシートノックの時間はスタンドを歩き回り、座席に腰を下ろすことができた時には整列の時間となっていた。

 第1試合、第2試合が終わり、待ちに待った第3試合。明徳義塾の対戦相手は名将・木内幸男監督率いる常総学院。強豪同士の一戦はシーソーゲームとなった。4-4の同点で迎えた8回表、茨城の強豪が相手の守備のミスに付け込み、2点を勝ち越す。勝負は決したかに見えたが、本当のクライマックスはまだ先だった。その裏、2死走者なしから山田裕貴が放ったのは、何でもないサードゴロ。その直後だった。常総学院の3塁手・横川史学がまさかの送球エラー。球場がざわつき始めた。すると直後に2番・沖田浩之が起死回生の同点ホームラン。歓声が銀傘に響き、球場がより一層騒がしさを増しているなかで、キャプテン・森岡に打席が回ってきた。 

 この年の夏、明徳義塾が誇る高校球界屈指の内野手は不振を極めていた。この日の3打席も良いところなく凡退。

「お前が打たな、勝てんのじゃ」

 知将・馬淵史郎監督にこう言わしめた男は、生還した沖田と左手で軽くハイタッチをして打席に向かう。初球、一瞬の出来事だった。今まで見たことがない打球が真夏の空に発射された。

第84全国高校野球 常総学院戦で本塁打を放った明徳義塾・森岡良介

 直前の同点アーチの際は、ライトのポール際を覗き込むように首を右に動かした一方で、このホームランは首が捩れるくらい高く舞い上がり、ライトスタンド中段に飛び込んだ。右手人差し指を天に掲げて一塁を回る姿は何度もモノマネをするほど深く心に刻まれた。左に目をやると、一緒に球場に来たはずの40代男性の姿はない。代わりにいたのは、親子ほどの年齢が離れている老け顔の小学生だった。

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