※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2022」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】伊勢屋秀一(いせや・しゅういち) 東京ヤクルトスワローズ  56歳。千葉県柏市在住の会社員。「サブ4」があやしくなってきた底辺ランナー。音楽は達郎とシカオ。落語は志ん朝と談春。ラジオはほぼTBS。愛猫「たまお」は4歳の三毛。少年期に阪急ブレーブスにハマり、現在は夫婦で『TEAM26』の一員です。

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 大杉勝男という強打者がいた。

 右投右打。身長181cm、体重88kg。一塁を守った。

 乱闘となれば真っ先にベンチを飛び出す。ここぞという場面で本塁打を放てば、スタンドにキッスを投げながらダイヤモンドを一周した。ファンを愛し、ファンに愛された。

 現役生活19年の通算打率.287、486本塁打。史上初の両リーグ1000安打を達成した。

『週刊ベースボール』に見開きで掲載された12コマの連続カラー写真が手許に残っている。古い、透明なA4判のカードケースに入ったままだ。

 大杉はヤクルトスワローズのユニフォームを着ている。1978年から1989年まで使用されたビジター用だ。ライトブルーの無地で、Vネックと袖口が赤く縁どられている。パンツの太いラインも同じ赤だ。

 打ち終えた体勢と目線が、右中間への大きな当たりを推測させる。川上哲治が解説を書いている。

1978年日本シリーズ 阪急対ヤクルト 第5戦 とどめの3ラン本塁打を放った大杉勝男

「俺ずっと、イセヤは大杉を真似したらいいと思ってたんだ」

 1981年、僕は中学3年生になった。野球部を休まずに続けてはきたが、レギュラーになれないことはわかっていた。4番手の捕手兼スコアラーだ。2番手と3番手は下級生だった。

 イモッチと僕は1年生の時からキャッチボールのパートナーだった。姓が「ナガオ」だから「ナガイモ→イモッチ」。身長は180センチあって顔が小さかった。手脚が長くてバネがあった。走り幅跳びの選手として陸上部に駆り出された。

 マウンドでは感情の起伏が激しいのに、普段は物静かで読書を好んだ。司馬遼太郎作品のファンだった。

 長身から投げ下ろす速球が武器だったが、最上級生になって突然投球フォームを変えた。「俺の骨格は絶対アンダースローに向いている。研究したんだ」とイモッチは譲らなかった。夏の大会前の練習試合を2完投勝利して周囲を納得させた。

 僕らが育ったのは房総半島の端の小さな町だ。40年前、学区内に県立高校は8校あった。僕は最も難関の「C高」を志望した。偏差値は当落線上にあった。

 イモッチは学区内で野球の強い「H高」だ。

「イセヤ、『現在完了』教えてくれよ」

 年が明けてからイモッチと教室に残って受験勉強することもあった。イモッチは英語が苦手だった。

 そんな日は帰り道にマスダ精肉店に寄るのが楽しみだった。おばさんがいつもより少し厚めにハムを切ってくれる。白い紙に挟んで渡される揚げたてがしゅうしゅうと音を立てた。

「イセヤにあげてえもんがあんだ」ある晩、ハムカツを頬張りながらイモッチがスポーツバッグから取り出したのは『週刊ベースボール』だった。1980年11月3日号。広島カープの江夏が表紙だった。イモッチは『週べ』を定期購読していた。

「これにヤクルトの大杉の連続写真が載ってんだ」と彼は言った。「俺ずっと、イセヤは大杉を真似したらいいと思ってたんだ。ほんとは高井を目指したいんだっぺけど、高井の手首は特殊だ」

 僕は小学校2年生の夏にオールスター戦でのサヨナラホームランを観て高井保弘のファンになり、阪急を応援していた。

 1978年の日本シリーズ第7戦もテレビで観ていた。10月22日はよく晴れた日曜日だった。

 そうだ、これから「砂漠」んとこ行って素振りするべ、とイモッチが言い出した。町の海岸には、童謡で有名な2頭のラクダの銅像と三日月を象った石碑がある。

「大杉は『月に向かって打て』ってコーチに言われて打撃開眼したんだ。イセヤもあすこで素振りしたらC高でレギュラーになれっど」

 2人で肉屋から学校へ戻り、部室のバットを拝借して海へ自転車を飛ばした。息が白かった。

あの夜から大杉の連続写真を持ち歩いていた

 僕はC高に滑り込み、少し迷って野球部に入った。イモッチは入学式を待たずにH高の練習に参加していた。

 あの夜から大杉の連続写真を下敷代わりのカードケースに入れて持ち歩いていた。

 練習を辛く感じたら大杉を眺めた。授業中も、通学電車の中でも。12コマを俯瞰することもあれば、1つ1つを仔細に検証することもあった。川上の「解説」も一字一句暗記してしまった。

 2年生の夏、8月に入ると新チームで合宿だ。学校に1週間寝泊まりする。

「明日はH高と練習試合ね。こちらから伺うから」

 合宿最終日の前夜、監督が言った。食堂代わりの家庭科室。夕食前のミーティングだった。女子マネージャー3人と当番の1年生3人がカレーを仕込んでいる。いい匂いだな、腹減ったな。イモッチ投げるかな。

「イセヤ、4番だかんね」

「は?」