「那覇市内の数ヶ所の街頭テレビや店頭にテレビをおいている店の前は黒山の人だかり」――1959年、沖縄で初めてテレビ局が誕生した後、人々の反応はどのようなものだったのか?

 当時の貴重なエピソードを集めた、NHK沖縄放送局チーフディレクター渡辺考氏による新刊『どこにもないテレビ』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

1959年、テレビ開局直後の沖縄県民の熱狂ぶりとは? ©iStock.com

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新たな文化の萌芽

 沖縄のテレビの原点を記録した映像は、那覇市久茂地にある沖縄テレビ(OTV)本社2階にある収蔵庫の一番奥にあった。

「私はもちろん、その時代を直接は知らないのですが、開局当時はフィルムで撮っていたということで、その古いフィルムがこちらになります」

 目の前のスチール棚に重ね合わせるようにあったのは、錆も目立つ数個のフィルム缶だ。夕方のニュース前の忙しい時間、合間をぬって番組アーカイブスを案内してくれたのはアナウンサーの平良いずみである。

「沖縄初のテレビ局として創成期に撮影された貴重な映像の一部が、ここにあるフィルムたちです。もっと大量にあったはずですが、多くの映像はVTRに転写され、さらにそれらがデジタルデータ化されと、時代を経て形を変えて、60数年分の映像がアーカイブされています」

 後日、OTVプロデューサー山里孫存の計らいで、デジタル化された初期のフィルム映像を見せて貰ったのだが、そこにはモノクロームで時代が刻印されていた。

 1959年11月1日の開局時の様子を記録したものが、もっとも古い映像だ。この日、那覇市内の映画館で「沖縄テレビ放送開局祝賀公演」が開かれ中継された。無音なのが残念だが、琉球古典の踊り手、歌い手、演奏者たちが揃い、何かを演じている。

 OTVの三十年史によると、古典芸能の代表的踊り手・島袋光裕が、祝いの宴では必ずといっていいほど踊られる『かぎやで風』を披露し、親泊興照が『上り口説(くどぅち)』などを演じたという。なぜか、柔道や剣道の乱取りをやっている映像もあった。撮影場所は、テレビスタジオだが、どのような由来のものかは定かでない。

 那覇の港に中継車が陸揚げされ、十数名の男たちがそれを取り囲む様子も記録されている。みんなが笑顔で、テレビマンたちの歓喜と高揚があふれていた。那覇の目抜き通りで行われたパレードでは、その中継車を先頭に横断幕をつけた幌付きトラックなどが続き、牧歌的な市民たちの歓迎ぶりが写し出されていた。派手さこそなかったが、開局時の映像には、沖縄の新たな文化の萌芽が匂いたっていた。