清原が手にした金属バットには、「1985年8月21日 清原和博」とマジックで記されていた。ところどころ掠れたインクが時の経過を物語っていた。清原は銀色に光るバットをしばらく見つめてから元の場所に戻すと、他の2本とぴったり寄り添うように置いた。
「息子たちが使っていたバットです」
「この両端のは息子たちが使っていたバットです。去年、息子たちに会うことができて、あいつらがくれたんです。いつもぴったりくっつけて置いてます。ひどい父親でしたけど、きっと亜希が僕の悪口を言わんかったんだと思うんです。ほんと……いい女ですよ。ぼくといたころよりもいまのほうが輝いているんじゃないかな……」
清原はそう言うと少し笑った。そしてまたソファに腰を下ろした。半分開いたカーテンから差し込んだ西陽がその顔を染めていた。
この日の清原は洗礼を受けたばかりの信者のようだった。懸命に黒を白へと塗り替えようとしているように見えた。執行猶予満了を前にして、自分は何も変わっていないのだと頭を抱えてしまっていた男とは思えなかった。
清原の部屋には変化が陳列されていた。水槽の中の小さな生き物たちも、真っ白な冊子も、この4年間の変化の象徴であるようだった。それは書き手に見せるためなのか、それとも自らへの祈りなのか。いずれにしても、そうせざるを得ない人間の性をのぞいたような気がした。
そんな主人をよそに、窓際の亀たちは我関せずとでもいうように眠たそうな目で首を伸ばしていた。
それから私はいくつか質問をして清原はそれに答えた。やりとりは1時間も続かなかった。時計の長針がひとまわりもしないうちに清原は視線をそわそわと動かし始めた。それはあの白い壁の店に通っていたころと変わっていなかった。
外に出ると冬の陽はもう落ちていた。街灯に照らされた舗道はやはり表情がなく、駅のホームに滑り込んできた山手線は来たときと同じくらいの人間を吐き出し、同じくらいの人間を乗せていった。人も街も世の中も変わったようで変わっていなかった。確かに進んでいるのは時間だけであるように感じられた。
清原が銀座で泥酔し、警察沙汰を起こした――。週刊誌にそんな記事が載ったのは、それから数日後のことだった。
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