私は清原という対象を追うのはこの日が最後だと決めていた――2020年6月、清原和博を巡る「最後の取材」に赴いたスポーツライターの鈴木忠平氏。彼がそこで見たものは、清原の「父親としての顔」だった。

 バッターとして励む15歳の次男との電話で、清原が与えたアドバイスとは? 鈴木氏待望の新刊『虚空の人 清原和博を巡る旅』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

取材中、清原がふと見せた「父親の顔」とは… ©杉山拓也/文藝春秋

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2020年6月――清原を追う「最後の日」

 清原が執行猶予期間を満了したのは2020年6月15日、午前0時のことだった。その瞬間をもって懲役2年6カ月の刑罰権は消滅し、かつての野球界のスターは社会に復帰した。司法の上では黒から白へと戻った

 それは私があらかじめ思い描いていた物語の終幕でもあった。

 それから数日が経過したよく晴れた日、私は渋谷駅へ向かっていた。黒いバックパックにはほとんど何も入っていなかった。もうノートとペンすら入れていなかった。その代わりに雑誌の編集部や私のところに届いた幾つかの清原宛の封書と、小さなお守り袋を入れていた。

 清原に宛てられた封書を渡そうとしたことはそれまでも何度かあったが、その度に清原は怯えるような顔をした。

「応援してくれる人からの手紙だってことは分かっています。でも……届いた封筒の中に覚醒剤が入れられていた例があるみたいで、そのせいで再犯してしまった人もいるらしいんです」

 そう言って受け取らなかった。

 それでもこの日、すべてを渡してしまわなければと思ったのは、これを逃せばもう渡す機会はないと考えたからだった。私は清原という対象を追うのはこの日が最後だと決めていた。誰に言われるでもなく、自然と胸に浮かんできたことだった。

 4年前、新幹線の中で受けたあの電話は闇の中にいる清原からのものだった。それから私は画面の中でしか見たことのなかった英雄を追い始めた。彼がトンネルを抜けて光の中に戻るまでの物語を書くつもりだった。だからそこに待っているものがなんであれ、執行猶予の満了が区切りだった。そのときの清原の姿がラストシーンなのだと考えてきた。

 日曜日の午後、山手線は空いていた。清原との約束はもう木曜日である必要がなかった。田町駅前のコーヒーショップでアイスコーヒーを買うこともなかった。私は清原に何かを問う必要はなく、ただその佇まいを目にすればそれでよかった。

 初夏の陽射しに焼かれた無表情の舗道を歩き、がらんとしたマンションのエントランスを抜けて、エレベーターを上がっていく。清原の部屋の前に着くと扉はやはり少し開いていた。ロックバーがドアストッパーとしてかませてあった。そこまでは冬に訪れたときと同じだった。だが玄関を入ると部屋全体の雰囲気がどことなく変わっているように感じられた。

 巨大なスポーツシューズは相変わらず三和土の真ん中を占めていたが、その脇にハイヒールが脱いであった。目の前の寝室のドアはぴったりと閉められていて、嗅ぎ慣れない香水の匂いが微かに漂っていた。どことなく空気が弛緩しているようだった。

 リビングに行くと清原は灰色のソファに沈んでいた。顔はぼんやりと天井に向けられ手足は重力に逆らうことを諦めたように投げ出されていた。耳障りにならない程度の音量でテレビがつけっ放しになっていた。

 清原は虚ろな目で私を見た。