清原はソファに座り直すと、そわそわとした様子で電話を耳に押し当てた。しばらく呼び出し音だけが響いたあと何度目かのコールでようやく繫がった。
「あ、アパッチやけど……いま大丈夫か?」
清原は息子たちから「アパッチ」と呼ばれているようだった。電話の向こうからは低い声で短い返答があった。傍らにいた私にもその声が分かるくらいに部屋は静かだった。
「で……きょうどうやった?」
清原は言った。すぐには答えが返ってこなかった。
返答を待つあいだ、清原は落ち着かない様子で手元にあった灰色の手帳にボールペン走らせていた。見ると、紙に記されていたのは意味をなさない輪っかや曲線だった。規性のない不安定な模様が胸の内を表しているようだった。
少し間を置いて通話口から短い返答があった。
「そっか……」と清原は言った。ワントーン下がったその声から、この日の試合が清原の血をひく15歳のバッターにとって思わしいものではなかったことが伝わってきた。
「いまは結果が全てじゃないから、気にせんでええよ。それより内容はどうやった? ポップフライなんか、ライナーなんか」
清原はつとめて穏やかに言った。ようやく組み立てた帆船模型をそっと展示場所へと運ぶような繊細な口調だった。
清原は電波の向こうの声にうん、うんと頷きながら再びボールペンを動かし始めた。手帳にはようやく文字らしい文字が書かれ始めた。
「そうか。とにかくいまはタイミングが取れているか、強い打球が打てているか、それだけ意識してればええから」
電波の向こうで息子は頷いたようだった。
それから会話は一言ごとに途切れがちになり、そのたびに清原は天井を見上げたり、手帳を見返したりして言葉を探したが、最終的にはもう見つからなくなったようだった。
「じゃあ、また電話するから……。素振りは忘れんようにな」
父がそう言ったところで電話は切れた。
「これ、息子のための手帳なんです」
西陽の差し込む室内に沈黙が流れていた。清原は携帯電話を手にしたまま、しばらく灰色の手帳を眺めていた。
「これ、息子のための手帳なんです。気がついたことを書き留めておくと後で実際にスイングを見たときに役に立つんです。ぼくが手帳つけるのなんて、西武に入った一年目以来かな……。あれも一年でやめてしまったんですけど……」
質問をしたわけではなかったが、清原は私にそう説明した。もう元には戻らないと知りながら、砕けてしまったガラスの破片を拾い集めずにはいられない。どこにでもいる50代の男の姿だった。先ほどテレビ画面に目を奪われながら、ぼんやりと電話をしていた男とは別人のように見えた。だが、どちらも清原だった。
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