「あのころは、なんて臆病な奴らなんやって呆れていたんですけど、いまはそれでいいと思うんです」――現役時代、デッドボールから逃げるのは、臆病者のやることだと思っていた元プロ野球選手の清原和博。

 そんな彼が2020年2月の取材で、「心変わり」の様子を見せた理由とは? 大宅賞受賞『嫌われた監督』著者・鈴木忠平氏の待望の新刊『虚空の人 清原和博を巡る旅』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

清原和博が心変わりした理由とは? ©杉山拓也/文藝春秋

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2020年2月、対話の再開

 清原との対話が再開したのは2020年が明けてまもない2月のことだった。淡い冬の陽射しが降り注ぐ穏やかな日、私は渋谷駅へ向かった。

 かつてと違ったことと言えば、行き先が白い壁の店ではなく清原のマンションになったことだった。そして、あのころいつも山手線のホームに響いていた工事の騒音は消えていた。

 一方でハチ公口へ続く階段には相変わらず人波が絶えず、窒息しそうな閉塞感に満ちていた。そして約束の日はやはり木曜日だった。

 あらゆることが変化したようであり、ほとんど変わっていないようでもあった。

 山手線を田町駅で降りると南口へ出た。埋め立てによってつくられた臨海都市の舗道は不自然に平らで直線的だった。ロータリーから数分歩くと、西の空に背の高いマンションが見えてきた。そこが清原の住まいだった。

 保釈されてからしばらくは、銀座から数分のタワーマンションで子連れの若い女性と暮らしていたようだが、2人の関係が終わったためここへ引っ越したのだという。いずれにしても、他の誰かが生活を保障していることに変わりはないようだった。私の知っている清原はいつも誰かに整えられた人工的な場所にいた。

 重厚なエントランスを入るとロビーは閑散としていた。犬を連れた老女がひとり、私とすれ違うように出ていった。広々としたエレベーターに乗って目的の階に上がると、玄関のドアがわずかに開いている部屋があった。ロックバーに乗ってドアストッパーとしてかませてある。表札には何も書かれていなかったが、それが目印であるようだった。

 私は周囲を見渡してから呼び鈴を鳴らした。するとドアの隙間から「開いてますよ」という清原の声がした。無防備な玄関を入ると、小さなスペースに巨大なスポーツシューズが踵をそろえて置かれていた。私は残りのわずかな空間に自分の靴を脱いだ。

 すぐ目の前には部屋があり、半分開いたドアの隙間からそこが寝室であることが見てとれた。そこから左に行けば洗面所、右に行けばキッチンとリビング。間取りはそれだけだった。靴のサイズに比すれば意外なほどこぢんまりとした部屋だった。

 清原はリビングにいた。