印象的なひと言だった。言葉の余韻が宙に漂うような台詞だった。そのとき私はラストシーンを見たような気分になった。
虚空の人・清原和博
ここにトンネルを抜け出した男がいる。かつての英雄は光の中に戻ってくることを期待され、自らもそう望んできた。だが、ようやく陽射しを浴びたというのに、本人は憂鬱に沈んでいた。
この部屋にも清原の内面にも、あらゆる矛盾が整然と放ったらかしにされていた。変化と停滞、愛と憎しみ、純粋と狡猾が同居していた。本人はその両極を演じ分けているつもりのようだったが、私には極端な二面性そのものが清原和博であるように思えた。そして、そんな清原の中に自分の一部を見ていた。
誰かの愛を裏切ることになると分かっていながら、目の前の温もりに身を委ねてしまう。自らに背くことだと知りながら、束の間の陶酔に溺れてしまう。自分の弱さに苛立ち怖れるあまり、傲慢を撒き散らしてしまう。そういうことなら私にも覚えがあった。
清原を追う過程で目にした弱さは私自身の中にも存在するものだった。そのことに気づくまでには時間がかかった。なぜなら自らの弱さや矮小さというものは、誰にも知られないよう本能的に心の奥底に隠しておくものだからだ。
ところが清原は、多くの人が覆い隠そうとする部分を無防備にさらしていた。あえてそうしているのではなく、おそらく自覚しないままに。
清原という人物のなかには意識でも無意識でもなく、何もないようでいて全てが存在するような場所があった。表現するならば、虚空のような場所だった。私はそこに惹きつけられていた。宮地や野々垣や、かつて甲子園で対峙した投手たちが、まるで自分を投影するように清原に惹きつけられているのもそのためではないだろうか。私はそんな気がした。
いつしか西側の窓から差し込む陽は赤く染まり始めていた。清原はカーペットの上に転がっていたセブンスターの箱から1本を取り出すと火をつけた。吐き出された紫煙は諦めを知った男の象徴のように、のろのろと天井へのぼっていった。
清原はたっぷりと時間をかけてその1本を吸い終えると、ちらっと時計を見た。そしおもむろに身体を起こし、テレビのスイッチを切った。急に部屋が静かになった。それからテーブルに放り出していた携帯電話を手に取った。
「きょう次男の試合があったはずなんですよ。どうなったんかな……」