米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平(28)が8月9日のアスレチックス戦で6回を無失点、5奪三振と好投し、今季10勝目(7敗)を挙げた。1918年のベーブ・ルース以来、104年ぶりの「2桁勝利、2桁本塁打」の金字塔を打ち立てた。さらに、この日は第4打席で25号ソロホームランを放ち、メジャー通算でイチローの117本を超える日本人単独2位となった。大谷の二刀流は世界最高峰の舞台で完成の域に達したといえるだろう。

大谷投手 ©️時事通信社

 しかし、その二刀流については、日本ハム時代は両立が不可能と懐疑的な見方をされ、メジャーでも断念する瀬戸際に追い込まれるなど紆余曲折があった――。

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37点台の防御率に限界説

 2020年は、大谷が18年オフに受けたトミー・ジョン手術からの復活を懸けたシーズンだった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により公式戦の開幕は延期。大谷は2シーズンぶりの登板を目指す中、マイナーで長い回を投げることもできなくなるなど困難な調整を強いられた。ようやく始まった7月のオープン戦でも、その投球は本来の姿にはほど遠かった。

©️文藝春秋

 7月26日のメジャー復帰戦は一死も取れず、5失点でKOされた。8月2日の2度目の登板も二回途中2失点の乱調。球速145キロにも満たない投球もあり、右肘付近の「屈筋回内筋痛」との診断を受けた。

 0勝1敗、防御率は実に「37.80」。投手としてのシーズンは屈辱的な数字で幕を閉じた。失意のどん底にいた大谷を、チームメートで主砲のトラウトは「あんな彼を見るのはつらかった。(リハビリを)一生懸命やっているのを見てきたから」と思いやった。

 その数日後、二刀流の継続を問われた時の大谷の返答からは力強さが消えていた。

「可能性があればやりたい」

 この時、確かに挑戦の終わりが近づいていた。