文春オンライン

2018年を退屈しない物騒な年にするために

なぜ私は喧嘩してしまうのでしょうか

2018/01/01
note

 年が明けました。

 おめでたいと思います? 私はそうは思わないんですよね。

 45年の人生の中で、何度も何度も何度も何度も、今年も新しい一年が始まった、今年こそは良い年にしよう、飛躍の年にしよう、落ち着いて物事を考え、穏やかに暮らし、楽しく実入りの多い一年でありますようにって願ってきました。いままで私が引き起こしてきた様々な事件や騒動を深く反省し、次なる一年が自分や家族や周囲の人にとって素晴らしいものであってほしいと、そう祈りながら新年を迎えるのです。

ADVERTISEMENT

©iStock.com

年相応に人格が陶冶されていくべきはずが

 でもですよ。結果として振り返ると、全然いい一年なんて送れていないから。去年も一昨年もその前も。ろくでもないことをしでかして、いろんな人に迷惑をかけて、喜んだり悲しんだり怒ったりイライラしたりした一年を送っているんですよ。自分でも分かってるんですよ、冷静沈着であるべき年の瀬に2時間かけて煮込んだスープを手違いで床にぶちまけて呆然としたり、子供たちの喜ぶ顔を見たくてお年玉を増額したにもかかわらず袋を開けた瞬間の我が子の不服そうなツラを見て激しく血圧を上げたり、年相応に人格が陶冶されていくべきはずが、むしろ沸点はより低く、包容力よりもベアハッグであって、体力の衰えとともに疲れからイライラすることが激増していることに気づくわけであります。