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挨拶を無視して通り過ぎる老人、無視されて半ギレを起こす私

 奇妙なことに、酒を減らすと確かに身体が軽くなり、寝つきもよくなって元気にはなったのですが、今度は酒を飲んでいないイライラを我が精神は正面から受けることになりました。いままでは「酒を飲む→嫌なことが起きる→ムカつく」の順番だったのが、酒をやめてみると「酒を飲んでいない→ムカつく」というダイレクトに効く怒り回路が確立してしまい、むしろ些細なことに気づけば自在に怒りゲージを開放できるスキルまで身に付いてしまったのです。おかしい。何かがおかしい。住んでいるマンションで住人とすれ違う際に私が必ず交わす挨拶「おはようございます」を無視して通り過ぎる老人、無視されて半ギレを起こす私、すれ違ったはずが背中を追いかけて行って顔を見て「おはようございます!!」とまでやらなければ気が済まないのです。挨拶は人間の基本です。

 挨拶は絶対実施しなければなりません。社会生活を送るうえで必要で欠かすことのできない大事なお作法です、どのようなことがあっても必要な言葉を交わして気持ちよく一日を送りたいじゃないですか。私が。声を掛け合うマンションになって初めて活気が生まれ、安全防犯が徹底され、廊下に放置される荷物が無くなり、ゴミ捨て場から不審な粗大ごみが消えて、すべての白物家電や電子機器は快調に動き、布団という布団、浴室という浴室が乾くのです。安全と安心、そして快眠快便。それが現代社会における摂理というものであって、マンションというひとつ屋根の下暮らしている老若男女問わず全員欠かすことなく挨拶してこそ全員一丸となって世界に誇るマンション住民、輝ける千代田区民という称号を得ることができると、私はかねがね思っておるんです。

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私の崇高な精神によるマンション生活

 そういう崇高な精神でマンション生活を送っている私が繰り出す挨拶を無視しよる老人がいようとはもはや許せん。私より長くこの世で人生を送っておきながら、人と心を通わせる挨拶ひとつしないとは何事だ。我が山本家は猫ちゃんですら挨拶するんだぞ。年甲斐もなく情けない。そっちがそのつもりならこっちもエレベーターで待っててやらないからな。

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 そういう気持ちで長年挨拶し続けていたら、さすがに爺さんは私の顔を覚えたのか挨拶を返してくれるようになりました。嬉しい。見たまえ、努力は報われるのだ。あの雲まで届く坂を登り、そして樺太は我が帝国の領土となって我らは世界の列強の一員となるのだ。ありがとう。ありがとうお爺さん。共に頭皮を光り輝かせ、未来に向けて一歩を踏み出そうではありませんか。ここまで晴れやかな気持ちになったのは久しぶりです。きょとんとした爺さんの顔を見ながら、何度も何度も「おはようございます」「おはようございます」と言い続ける私の表情には一点の曇りもありませんでした。

 いやー、新年早々ビールが美味しいです。

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