背番号「16」がZOZOマリンスタジアムの一軍練習に合流した。8月8日。真夏の太陽が容赦なくグラウンドを照り付ける中、種市篤暉投手が充実した表情で汗をぬぐった。19年には8勝を挙げ次代のエース候補と期待されたが、20年9月14日に横浜市内の病院で右肘内側側副靭帯再建術の手術。長いリハビリを経て、今年の4月13日、二軍本拠地である浦和球場でのイースタン・リーグ巨人戦で実戦復帰。ここまで二軍で11試合に登板して3勝1敗。防御率2.70という結果を残し、満を持して一軍に合流した。
「正直、甘く見ていました」
「リハビリは想像した以上にきつかったです。身体よりメンタル。ずっと暗いトンネルの中で歩いているような日々でした」
種市はここまでの日々をそのように振り返った。大手術だった。時間にして2時間。術後4週間ギプス固定し、術後4ヵ月よりスローイングを開始。手術した瞬間、最後に記憶にあったのは手術台。その後、麻酔の効果で意識が朦朧となり、起きた時には右手にはギプスが固定されていた。その先に待っていたのは苦しいリハビリの日々。それは想像をはるかに超える辛い日々だった。
「それまでもよくリハビリをしているスポーツ選手のニュースとかを見ていてイメージをしていましたけど、正直、甘く見ていました」と種市。
なんといっても辛かったのは単調な毎日だったという。「毎日が同じ」とリハビリ中にボソッとつぶやき、ため息をついていた姿が印象的だ。
「毎日、同じ時間に起きて、同じ時間に朝ご飯を食べて、同じようなリハビリメニューをこなす。同じ時間に帰って、同じ時間に寝る。ずっとその繰り返しだった。メンタル的にきつかったです」
昨年の春季キャンプでは30メートルの距離でキャッチボールを開始した。久しぶりの投げる感覚は上々だった。「思ったよりも意外と行けるじゃんと思った」と当時の事を種市は振り返る。しかし、そこからが長かった。なかなか、状態が上がってこない。上がったと思ったら下がる。「一歩進んだと思ったら、二歩下がっているような時もある」。50メートルの距離に伸ばすまで時間を要した。
佐々木朗希の躍動する姿は「すごくうらやましかった」
昨年のマリーンズの快進撃はテレビで見るしかなかった。単調なリハビリの中で聞こえてくる仲間たちの活躍。投げられないもどかしさを感じた。
「その場にいられない悔しさ。チームの力になれない虚しさを凄く感じた。クライマックスシリーズをテレビで見ていて自分も投げたいと思った」と種市は振り返る。
昨年、投手陣では佐々木朗希がプロ初勝利を挙げた。10月14日、京セラドーム大阪でのバファローズ戦では3勝目をあげると優勝マジックが点灯した。優勝マジック9と書かれた色紙を掲げる後輩の姿が眩しく映った。そして今年、4月10日には完全試合まで達成した。小島和哉投手も昨年は初の二桁勝利をあげ、左のエースにのし上がった。歳の近い投手がマウンドで躍動する姿がうらやましかった。
「すごくうらやましかった。オレは一歩進んでも二歩下がって後退しているような日々の繰り返しなのに、みんなはどんどん前に進んでいる。(佐々木)朗希に関してはもうファンの人と一緒。完全試合はテレビで見ていた。凄い。リスペクトしている」
種市は焦る気持ちを抑えながらまた単調なリハビリに向かうしかなかった。