今年5月25日に間質性肺炎で死去したJR東海名誉会長の葛西敬之氏(享年81)。

 前官房副長官の杉田和博氏が「文藝春秋」のインタビューに応じ、30年来の盟友だった葛西氏の功績と知られざる人柄について明かした。

葛西敬之氏

「最初の出会いは1993年のことでした。当時、私は神奈川県警本部長の職にあり、そこにJR東海の副社長だった葛西さんがお見えになりました。もちろん、それ以前から葛西さんの名前は知っていました。1987年に、中曽根政権のもとで実施された国鉄分割民営化の際、40代の若さで42万人を抱える巨大企業の前途を切り拓いた」

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「そのとき印象的だったのは、葛西さんが『自分たちは、現実から目を背けることなく組合に対処してきた』とその経験を熱く語られたことでした。JR各社では、動労(国鉄動力車労働組合)、更には国労(国鉄労働組合)といった旧国鉄の労組の影響が経営面でも依然として残っていました。JR東海ではその影響を断固排除しようと葛西さんが先頭に立っていた。そのため卑劣な攻撃に晒されることもありましたが、わが身を挺して戦っていました。私自身も国鉄の頃から労働組合の問題はずっと注視してきましたし、問題意識も持っていましたので、葛西さんからの組合問題の相談に乗ったこともありました」

リニア中央新幹線

 葛西氏は、財界人の集まりである「四季の会」の中心メンバーとして、安倍晋三元首相を一貫して支援してきたことでも知られている。杉田氏は長きにわたる2人の交流を間近で見てきた数少ない人物だ。

「JR東海名誉会長の葛西敬之さんの葬儀には、安倍晋三元首相も参列されていました。遺影を前にして弔辞に立った安倍さんはこう語りかけました。

『葛西さんに病床で「日本の将来を頼みます」と仰っていただいた。その最後の言葉を胸に、国政に全力で邁進します』

 死を覚悟された葛西さんは、安倍さんに日本の将来を託された。その厚い信頼に対する安倍さんの言葉を受け、感動は増上寺の斎場に伝わりました。つい六月半ばのことです。それからわずか1カ月足らずで、その安倍さんが凶弾に倒れられた。安倍さんの葬儀で再び増上寺に向かう道すがら、あまりの運命の苛酷さに言葉を失いました。今もまったく心の整理がついてないのが正直なところです」