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〈8月15日ドラマ放送〉「父が吐血した日、私は泣いた」終戦後、日に日に弱る父…田辺聖子の日記に書かれた若き日の“嘆き”

『田辺聖子 十八歳の日の記録』より 後編

2022/08/14

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 読書

note

 いつの場合にも父は頼もしげなく、誤っていたが、いつの場合にも母は正しく逞しかった。母の偉大さは、私は充分見知った。どうにかして、えらくなって、母を安心させてあげたい。私の一生の半分を母に捧げようとも思う。

「あしながおじさん」を読み、懸賞募集の小説を考える

11月21日 水曜日

 さて─私は、すこぶるぐしゃりとなって日を送っている。

 というのは、2日前から試験があったけど、昨日の試験、倫理と外国文学史が、どうかわからない。倫理はすっかり一人決めして、こんな所出ないだろうと思ったところが出て、なんと失望したことだろう。

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 今日は休みで、明日またあるが、早く試験がすんでほしい。筆不精になってしまった。

 書きたいことはあるけれど、しかし手が震えていうことをきかないから。

 いま、憂鬱のあまり勉強をそっちのけにして、「あしながおじさん」を読み、懸賞募集の小説を考えていた。

©iStock.com

 ヂューディ(※『あしながおじさん』の主人公のこと。孤児だが、名を秘した慈善家の金で大学に行くようになる。現在は「ジュディ」と表記されることが多い)は明るく、そして戦闘的な人生観を抱いている。日常生活の個々の小さな出来事に対して、それを笑ってむかえる。真に大きな試練にぶつかって力を出すのは当たり前のことで、日常生活の嫌な、小さい出来ごとを一つ一つ笑って勇敢に当ることは難しいのだ。

 あたしの字の汚いこと。倫理が危うくてしょげている。

父はしんどそうに溜息をつくが…

11月22日 木曜日

 今日の文学史は、また山家集が危うい。聖典視されてるという一事を付け加えとけばよかった。

 懸賞募集の小説のこと、しきりに考えている。

 やはり学徒のことを取扱う。

11月23日 金曜日

 また憂鬱。もう何にもあたしの憂鬱を救ってくれない。ヂューデイもケアリも何もかもあたしとは縁切れだ。

 ひどくミザンスロープ(※「人間嫌い」の意)になったけど、私はそうでもなく、楽しいときもあるけど。頭がクタクタなので。私は疲れているのだ。

 父は弱い。少しよくなったかもしれないけど。病床から、やかましく指図し、何事にも口を出し、その合間合間に、さもしんどそうに溜息をつき、横着にごろごろ寝ている病人は、煉獄にもう一万年とまってなきゃならないだろう。

 またそうでもなく、気の毒になり、愛する時もあるけれど。

田辺聖子 十八歳の日の記録

田辺 聖子

文藝春秋

2021年12月3日 発売

〈8月15日ドラマ放送〉「父が吐血した日、私は泣いた」終戦後、日に日に弱る父…田辺聖子の日記に書かれた若き日の“嘆き”

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