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「お嬢ちゃん、それ、そこ、そこ」防空壕でむしやきにされた人間の死屍が…18歳の田辺聖子が見た“戦争”

『田辺聖子 十八歳の日の記録』より#1

2021/12/04

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 歴史, 読書, 社会

 2019年、91歳で惜しまれつつこの世を去った国民的作家・田辺聖子さん。没後2年の今年、1945年から47年までの青春期を綴った日記が発見されました。

 記されていたのは、「大空襲」「敗戦」「父の死」「作家への夢」……。戦時下、終戦後のままならない日々を、作家志望の18歳はいかに書き過ごしたのでしょうか。日記をまとめた『田辺聖子 十八歳の日の記録』(文藝春秋)より一部抜粋して、戦時中の日記を紹介します。(全2回の1回目/後編を読む

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なにを書こうか

5月25日 金曜日

 用紙がたくさんあるので、私はノートを妹といっしょに作った。3、4冊出来て嬉しい。これだけはどうかして焼きたくない。なにを書こうかとたのしく迷っている。

 お祖母さんが福知山から帰っていらっしゃる。妙ちゃんも家にいるので久しぶりに7人になり賑やかだ。「お祖母さんは、服部へ行っても福知へ行っても結局はこの家が一番いいんやろう」とお母さんが言っていた。そのくせに、家へ来ると、服部へ物を持って行ったり、福知へ持って行ったり汲々(きゅうきゅう)としている。あちらこちらに心を置いて結局その中のどれ一つにもおちつけないのであるから、どこへ行ってもいやがられるらしい。私の家へ来ても、服部の叔母へパンを運んだり、何やかや遣(や)る。お母さんは慣れているが、服部の叔母や福知の叔母たちは、それを快く思わない。お祖母さんもじきに喧嘩して気が合わず、蒼惶(そうこう)と帰ってくる。

 あの子も、この子も、で、服部と家と福知と京都との間を、いい年をして幾度も往来し、かてて加えて、この頃はボケて色んなものを忘れたり落したりして苦笑している。私達が大騒ぎするのを抑えて強いて何でもないもののように言っても、その口の下から「しもたことした」と呟くのだから、さすがに年寄りだ。

田辺家所蔵/撮影:文藝春秋

劇団へ入った従姉

 ところで面白いことがある。

 服部の叔母の長女で私の従姉のことである。

 ロッパ(※古川緑波。喜劇俳優。「昭和の喜劇王」と謳われた。昭和10年に東宝に入り、古川ロッパ一座を組んだ)か東宝かよく知らんけれども、何かそういう劇団へ入ったらしい。「ずっと前から、そればかり考えていて、希望していたけれど、家の問題もあるし……」というそうだ。田原さん(※同級生)に私はこの話を面白おかしくはなしてやったら、田原さんはきゃらきゃら笑っていた。私はありのままに言ったら家の恥だから脚色したのである。

「遠縁の人だけれどね、ロッパ一座に入りたいといいだしてね。親族会議で怪(け)しからんことをいうと𠮟られたの」

 私は言いながら、嘘だと思って自分自身がいやになった。

田辺聖子 十八歳の日の記録』(文藝春秋)

 今日、お祖母さんが、服部から帰って来て、

「梅田の地下かなんかへ試験うけに行って通ったそうな」

「どんな試験ですの」

 とお母さんはパンを焼きながら鼻でけずったようにいう。

「歌、うたうのや」

 お祖母さんは、けろりとしている。

「へえ」

 とお母さんは意外そうにいった。

「そいで、こんどは東北の方へ巡業に行くんやて。何でも物資(もの)があるそうやな」

 お祖母さんは気楽なことばかり並べている。もはや、お母さんは返事もしない。