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「お嬢ちゃん、それ、そこ、そこ」防空壕でむしやきにされた人間の死屍が…18歳の田辺聖子が見た“戦争”

『田辺聖子 十八歳の日の記録』より#1

2021/12/04

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, 歴史, 読書, 社会

note

「もう、通知簿なんかどうでもいいわ」

5月31日 木曜日

 午前3時間勉強して、午後3時間労働している。

 その労働たるや、カチンコチンの運動場を深さ30センチくらい掘りおこさねばならぬ。そこへ芋を植える。10年来ふみかためた運動場であるから、その固いこと。薄い、妙に鋭角の鍬(くわ)などてんで受けつけず、カチンコとはねかえしてしまう。なさけない。

 腰が痛くて起き上れない。とうとう今日は休んでしまった。

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 昨日、母といさかいした。お母さんは、

「通知簿はどうなったの」

 という。私は暑い道をてくてく帰って来たばかしで、その上、整地開墾作業でくたくたになっているから、いらいらしている。つい、つっかかる様な口調で、

「もう、通知簿なんかどうでもいいわ。こんな時節にそれどころやない」

「そう、捨て鉢にならんでもええやないか」

「今、そんなことを考えてられへん」

「そんなこと言うては上の学校受けられへんやろう。働く働くでそんなに働きたかったら、学校やめてどこかへ働きに行ったらええやないか。つっかかるように、ものを言うて、ほんとに可愛げのない子や」

 そこまでで母がやめてくれれば好かったのに、ミシンをふみながら、まだいうのである。

「だいたい、うちで学校へあげるような事は出来(でけ)へんのやけど、まあまあとおもってやっと専門へ上げてるのに。何や、そのいい方は。そんなに仕事したかったら、もうどこかへ勤めたらええやないか」

 私は憤然として、新聞から顔をあげた。

母はどうもけしからない

 どう考えても母のことばに無理があると思う。ひどいことを言う、と思う。

 するとまた母はつづけた。

「高い月謝払うて、なんのために学校へ行かしてるのや。学校へやってる以上、通知簿のことは気にするやないか。聖子はほんとに可愛げがない。親の手伝いもろくにせず遊ばしてるくせに、なにをえらそうにへりくつを並べるのや」

 私は誇りを大いに傷つけられて咽(のど)がつまった。

 勿論、母にも一面の真理はある。けれども、高い月謝云々ということばは私の乱れた脳神経の網目に引かかった。

昭和19年3月、樟蔭女専入試前の田辺聖子(田辺家所蔵)

 大体、私は、親は子を教育する義務があると思っている。親が苦しい中をきりつめて子を勉強させるのは当然だという気がしている。

 勿論それに対して子は感謝すべきであるが、それについて親は誇る権利は薄いと思う。

 私の月謝が高いなら、どうして父も母もあんなに闇のものを買いこむんだろう、どうしていろいろ乱費したり、多額の小遣いをくれたりするのだろう、また父はどうしてああ仕事を嫌って働かないのだろう。それに母は、そんなに私に偉そうに言ったって仕方がない。

 私の性質のゆがみはもちろん私自身の不修養でもあるけれど、足が悪いからこんなに引込思案にひねくれたのかもしれない。すると母も責任の一半(いっぱん)は、負うべきである。どうもけしからないと思う。

 それに帰ったばかりで疲れて暑くて、泣きたくなっているのにもってきて、時代おくれな認識不足の通知簿のことなど言い出されると甚(はなは)だじれったい。実際、母は家庭と町会に沈湎(ちんめん)していてなんにも分らないのである。