家の犠牲になる、といって
「家の犠牲になるとかなんとかいって」
とお母さんが笑った。
「今まで犠牲になったンやから、というてた」
お祖母さんがいう。するとお母さんが、
「そりゃ、30にもなるまで犠牲になるのが、ほんとの犠牲やな」
とかるく一蹴した。ここの照ちゃんは、いい縁談を断ったそうなので、お母さんは止(とど)めをさすように言った。
「ええところで勤めをやめて、いいかげんに嫁入りしたらいいのに」
この服部の家へ物を疎開すると、何でもどしどし使うほどルーズな家庭である。叔母さんも従姉達もそれが普通のように思ってしまっている。よその家から疎開していたミシンを、使って下さいと言われたからと言って平気で使ってしまう。潰れそうになるまで使うから、その家の人は驚いて早々に舟をもって帰った。すると叔母は、薄情だといってぷんぷん怒っている。また、ほかの人があずけた着物を、叔母は得々と着て歩いたりする。私の服でも預けると早速、私と同い年くらいの従姉がいるから、すぐやられる。
叔母は洒落者で、子供の着物は質に置いても自分を飾ろうとするのだから、従姉たちもつまらないらしく、それに、叔母は口ぎたなく子供たちを罵(ののし)ってコキ使う人だから、従姉や従兄も面白くないのであろう。
「思(おも)や、こどもも可哀想や。叔母ちゃんがきついんで、いやなんやろう。あれで叔母ちゃんがもちっと子供を可愛がってたら、お母ちゃんが苦労して育ててくれはるという気もするけど、ああこどもを憤(いきどお)ってたら、子供もつまらんのやろう。こんなに一生けんめい働いても、お母ちゃんに𠮟言(こごと)いわれると思うと、ついふらふらと女優でもなろうかという気がするんやろかい」
と母は言っていた。
徹底した仕事嫌いのお父さん
このところ、お父さんはどうも仕事せず、あそんでいる。町会のしごとが忙しいらしく、家の仕事は手に着かぬらしい。折角写しに来たお客さんに、
「出来るの、遅おまっせ。7月だっせ」
「あはあ、宜しおま、どうぞ」
とお客がいささかも動ぜず、とことこと2階へ上ってゆくと、お父さんは苦笑して、
「こらあかん、この頃は平気でいつまでかかっても写そうとしよる」
といっているから、仕事嫌いは徹底している。ほとんど御飯を食べるためのみのように、ときどき家へ帰ってくる。夜は夜で家の店はクラブのように、煙草のけむりが込め、賑やかな笑声が渦まいている。我々が筑前守(ちくぜんのかみ)といっている蓄膿(ちくのう)症のブラシ屋氏か、親戚のおじさんに似た上久保氏とか、吝嗇(りんしょく)家の大家とか、また平家蟹に似た、われわれが「醜」とよぶ小父(おじ)さんとかが定連(じょうれん)である。