学校では問題外である。通知簿なんぞ話題に上らない。このごろ忙しくて、母は感覚や感受性が鈍くなっている。私は母と話していると、とんちんかんなので時々じれったくて、つっかかるような口ぶりにならざるを得ない。いくら急がしくても、子供の話ぐらいには、てきぱきと答えるほどの新鮮な気持ちをもっていてほしい。お母さんも私に対して不満があるだろうけど、私もお母さんに不平をもっている。お母さんは「忙しいから、何を言ったかおぼえてないよ。そっちで判断して」というが、私はそういうルーズなやりとりはきらいである。
防空壕でむしやきにされた、人間の死屍
町会でやっている畠(はたけ)のつい向うで、さきの3月13日の大阪罹災(りさい)の時(※第一次大阪大空襲のこと)、防空壕でむしやきにされた、人間の死屍(しし)が発掘された。
はじめ、私と弟と祖母が、畠の整地をしていると、防空壕を掘っていた人々の間で、「肉」だとか、「死人」だとかきこえる。戦災地あとを掘って、逃げおくれた死人が出てくるのは、この頃ままある習いである。
私と弟は怖いもの見たさで、好奇心いっぱい、先を争って壕の上に走り上った。
まだ何にも見えない。
凹字形に掘られた壕の中で勤労奉仕の人々が、てんでにシャベルや鶴嘴(つるはし)を杖にして、沈重な顔をしたり、何かを期待するように好奇的な目を光らした人など、とりどりに立っている。女連は壕の中へよう入らず、土を山積して固めた上で話し合っている。
赤い土まみれの一塊の肉
「どこなの、どこ」と私が言うと「お嬢ちゃん、それ、そこ、そこ」と隣の人があわてて指さした。ぎょっとして思わず飛び退(の)く。土運びの蓆(むしろ)の上に、土にまじってなるほど、牛肉の筋に似てぶよぶよと赤い土まみれの一塊の肉が見える。
私は息をつめて見入った。弟は腰をかがめて仔細に観察を下している。私の目はまだ肉から離れない。黒こげではなくて、こんなにも生々しくあざやかな血汐の色を有している、ということが不思議なのである。
このときくらい、人間がいかにも物質的に思われたことはない。
「ええ肥料になりますやろ」
と、おばさんが残忍な諧謔(かいぎゃく)を弄してエヘヘと笑うと、日よけの手拭をかぶり直した。そうかと思うと、
「肉の特別配給だっせ。御馳走したげまひょう」
と年よりまで言う。あたりの人は胸わるそうに顔をしかめたが、年より婆さんは、きゃらきゃらと笑った。
壕の中の男連中はしきりに死体の位置と発掘後の処置について論じあっている。
「お嬢さん、もう止めときなはれ、御飯食べられしまへんで」
隣組長のおじさんが、スコップでよい土を畠へ投げながら、汗のしたたる顔で笑った。眼鏡がきらりと光っている。私も笑って頷き、壕から退いた。
「どこの人やろう」
ということが、人々の疑問と話題の焦点になっていた。
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