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 千葉ロッテのベースボールキャップを目深にかぶった井元は、深く刻まれた目元のをさらにギュッと寄せ、ニカッと笑った。井元とは6年以上の付き合いとなる。だが、特定の球団のキャップをかぶって姿を現したことはこれまで一度もなかった。

 2021年に石垣島で行われていた千葉ロッテの春季キャンプに足を運んだ際、明桜のスカウトとして勧誘し、同校からプロに進んだ山口航輝(2018年ドラフト4位)からプレゼントされたという。山口は、井元が最後に送り出した、“83”人目のプロ野球選手となる。

 だが、2022年7月に86歳になった井元が2021年8月、静かに高校野球界を去っていたことを知る者は少ない。

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「コロナ禍でそうそう出歩けなくなってしまったし、出歩くことがしんどくなってしまった。幸いにして、車の運転はできるんだけど、足腰が弱ってしまってね。もうあちこちに飛び回ることもできないんです。持病もあるし、潮時かなと。未練なんてありません」

 この年、世代ナンバーワンと評された風間球打(2021年福岡ソフトバンク1位)を擁した明桜は同年夏の甲子園に出場したことで、井元は「お役御免」を自覚したのかもしれない。風間は井元がスカウトした選手ではなかった。

 スカウトの仕事から離れてからも、週末になると中学野球の現場に足を運ぶという。

「それは完全に趣味ですね。甲子園を見るよりも、中学野球の方が面白いんですよ。私がよく足を運ぶチームに素晴らしいキャッチャーがおる。彼の成長を見守るのが楽しみでね。大阪桐蔭の西谷君が声をかけとるらしいです(笑)。その子の進路にタッチしようとは思っていません。もちろん、相談されたら、アドバイスはするだろうけど、彼は私が何者かなんて知らんでしょう」

軟式か、硬式か

 全国の有望選手の情報が簡単に手に入る現代とは異なり、井元がPLの第一線で活躍していた頃は独自の情報網から連絡が入り、靴底を減らし続けて熱意を伝えた。

 スカウティングで苦労した思い出はいくらでもある。とりわけ、「逆転のPL」が代名詞となった1978年夏の選手権大会の優勝投手である西田真二(元・広島)を口説き落とすために、和歌山にある西田の実家にはギネス級に日参した。

「同級生の捕手・木戸克彦(元・阪神)にも苦労しましたが、西田に関しては36回目の訪問でようやく決断してくれた。そうそう、3年時に甲子園には出場できませんでしたが、同じ和歌山出身の尾花高夫(元・ヤクルト)の時も大変でした。

 PLから社会人の新日本製鐵堺に進み、その後にヤクルトに入団した彼は、九度山出身だった。高野山に向かう途中の山の中に実家があり、1月の末頃に初めて訪ねた。すると私は道に迷ってしまって、草木を掴みながら山を登ってようやくたどり着いた。こんな山を毎日上り下りして学校に通っているんだから、相当、足腰は強いだろうと思ったことを覚えております」