仙台育英が勝った。東北の学校として初めて、甲子園を制した。関東で生まれ、関西で少年時代の一時期を過ごしたわたしには想像することしかできないけれど、宮城県民にとって、東北の人たちにとっては、とてもとても大きな出来事だろう。負けて負けて負けまくっていたサッカー日本代表が初めてワールドカップへの扉をこじ開けた時ぐらい、忘れられない瞬間になるのだろう。

 試合翌日のスポーツ紙各紙は仙台育英の偉業を讃える文章で埋めつくされていたが、その中に一つ、グッとくる原稿があった。スポニチの秋山誠人さんという専門委員の方が書かれた『この瞬間のために“呪縛”はあったのではないか』という記事である。

『(前略)分厚かった扉はついに開いた。1915年の第1回大会で秋田中(現秋田)が決勝で敗れてから107年。東北勢は決勝で9度敗れてきた。「もう白河の関は越えられないのか」。そんな思いを抱く人もいた。でも、この瞬間のために長い“呪縛”はあったのではないか(後略)』

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 いいなあ、こういうモノの考え方、とらえ方。起こってしまったことを嘆くのではなく、これから起きることへの糧にしようという考え方。なんだか、心が洗われました。

矢野監督が一瞬だけ“苛立ち”を見せた、あの瞬間

 そういえば、いまとなっては『スター・ウォーズ』のオープニングを想起させるほど昔に思える1年と少し前、首位を独走する阪神を特集する雑誌Numberの取材で矢野監督にお話をうかがった時のこと。終始にこやかに質問に答えてくれていた指揮官が一瞬だけ、苛立った気配をかいま見せたことがあった。

「いや、起こってしまったこと、変えられないことを考えても仕方ないんで」

 あの年の序盤、阪神は雨やコロナの問題などで試合の消化が滞っていた。必然的に終盤戦には過密日程が組まれざるを得ない。そのことについてどう思うか、という質問に対する答だった。

 わたしは矢野監督より年上で、面識もある。だが、もし年下で、面識のない人間が同じ質問をしたら、矢野監督の反応はもっと刺々しいものになったのではないか。はっきりいえば、地雷を踏むに等しい質問だったのではないか――そう確信したほどに、覗かせた表情は厳しかった。

「矢野さん、あれ絶対にアドラー心理学勉強なさってますね」

 取材後、長い付き合いになる編集部のP君が言った。「そ、そうだな」と相槌を打ちつつ、実は啓発モノとか心理学とかを敬遠しがちでアルフレッド・アドラーなんぞ知りもしなかったわたしは、後日、こっそり何冊かの著作を買って読んでみた。

 P君の言ってたことが腑に落ちた。

 アドラー心理学では、過去の出来事が後の人生を決定づけるという意味づけを否定し、どうしたいかという「目的」こそが人生を司ると定義している。なるほど、だとすれば言ったところで何か変わるわけでもない過密日程を嘆いても仕方がない、と割り切ることができる。負け続けた歴史を勝てない原因にするのではなく、今回の優勝をより印象的なものにするためだったととらえる秋山記者の印象的な記事も、根幹は同じもののように思える。

 なので、これからはわたしも、起きてしまったことを嘆くのはやめる。

 8月に入っての8連敗。痛恨だった。万事休したと思った。嘆くことで8連敗がなかったことになるのならば、嘆いて嘆いて嘆きまくってやる。

 が、ここは一つ、いままでの自分とは違った見方で8連敗を振り返ってみる。

 なぜこの大切な時期にあれほど大きな連敗を喫してしまったのか。原因ははっきりしている。コロナである。近本と中野と大山が消えた。セ・リーグで一番多くヒットを打っていた選手と、2番目に打っていた選手と、2番目に多くの打点をあげていた選手が一気に消えたのである。以前、矢野監督は『ONE PIECE』のような集団で戦っていきたい、と語っていたことがあるが、ルフィとゾロとサンジ抜きで戦うとなれば、麦わらの一味とてひとたまりもあるまい。これはもう、運が悪かったとあきらめるしかない。

 連敗が重なればファンの気持ちもすさむ。ネットも荒れる。今年の阪神の場合、まずやり玉にあげられるのが矢野監督であり、次いで糸原、大山あたりがターゲットにされてきたという印象がある。投手陣が奮闘したにも関わらず、打てなくて負ける試合が多かったことを考えれば、まあわからないでもない。