今年のセンバツの決勝戦は大阪桐蔭が18対1で近江を圧倒しての優勝を決めた一方、準優勝の近江は京都国際の代替出場として大健闘した。代替出場で準々決勝入りしたのは、1935年の中京商業、52年の長崎商業、92年の育英に続き4校目となり、2勝したのは育英に次いで2校目だった。
近江高の運命を変えた1枠
代替出場が決まってから3日後の3月20日の第2試合で長崎日大との初戦を迎えた。甲子園の周辺で宿泊先を手配できる時間がなく、日帰りで臨んだ。朝6時半に学校を出発し、甲子園球場を目の前にした途端、選手たちは「本当にオレたちは甲子園に来たんだな」と実感したという。そうして聖光学院、金光大阪、浦和学院と次々と強敵を倒しての決勝進出を果たしたのだ。
近江は前年夏の甲子園で大阪桐蔭に勝利したあと、準決勝進出を果たしたが、その大阪桐蔭は秋の近畿大会、さらには明治神宮大会を制して、翌春のセンバツ出場につながる「神宮枠」を確保することができた。
本来であればセンバツ選考にあたって、近畿は6枠しかない。近畿大会で優勝した大阪桐蔭、準優勝の和歌山東、ベスト4の天理、金光大阪、さらに市立和歌山、東洋大姫路が近畿代表として選ばれ、京都国際は補欠1位校になるはずだった。だが、この神宮枠があったからこそ、京都国際はセンバツに出場することができ、コロナで出場辞退をした際には近江が選ばれることになった。まさに運命を大きく変えた1枠だったのである。
京都国際は開幕予定日前日に出場を辞退
一方の京都国際は開幕予定日の前日だった3月17日に、新型コロナウイルスに13人が集団感染したため、出場辞退すると発表した。エース森下瑠大と控えの145キロ右腕の平野順大の2枚看板を擁して全国制覇が期待されるなかで起きた現実を受け止めるしかなかった。
チームを指揮する小牧憲継監督は陰性判定を受けた選手だけを集め、辞退する旨を話したところ、「みんな唖然とした表情で、下級生を中心に状況をうまく飲み込めていなかった」と語っている。陽性者はその後、電話で伝え、キャプテンと副キャプテンの森下には先に個別で話した。森下は当初驚いた様子だったものの、すぐに「夏に向けて頑張りたい」と言った。
けれども本音は違った。この翌日、福知山市の自宅に向かう車中で、森下は「きつい……」と本音をこぼし、その後は無言の時間が続いた。17歳の高校生には、目の前で起こった現実を容易に受け止めきれないほどの悲劇であったことは想像に難くない。