「音楽を携帯する」というまったく新しい文化を世界中に浸透させた「ウォークマン」という商品は、まさにソニーのイノベーション(技術革新)の真骨頂だった。ところが、意外にも発売前夜の社内では懐疑的な声の方が大きかったという。 

 開発に携わり、みずから「プロジェクト・マネージャー」を名乗り出た盛田昭夫氏(当時ソニー会長)が、社会現象を引き起こすまでの道のりを綴っていた。

出典:「文藝春秋」1981年4月号

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 私共の商品名を表題にするのは、配慮すべきであるが、あえてこの名を出した。というのも既に、昨年5月号の本誌で、椎名誠氏が「35歳のウォークマン戦記」と題する一文を書いておられて、ウォークマンの流行を社会現象の一つとして批評しておられるので、この変な機械の発案者として、今さら、宣伝でもないとお許し願い、これにまつわる小話を認(したた)めることにした。

 一昨年の早春に、当社の井深さんが「他人に迷惑のかからないようにステレオを聴きたいのだが、あのヘッドホンは、重くて困るし、ステレオからひもつきでは行動も束縛される。携帯用のステレオカセットにヘッドホンをつけて歩いてもみたが、重くて仕方がない」と言いながら一式を私の部屋に持ちこんできた。そこで私も同様に実験してみたが、なるほど音楽は楽しめるが、全く重くてどうにもならない。

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 考えてみると、私の息子や娘をはじめ今や、若い人達は音楽なしでは片時も暮せない。朝から晩までステレオの中に浸っている。家の中では当然ながら、車の中までもすごいステレオをつけている。

 彼等――彼と彼女――が車でどこかへ行ったとする。家から車の中まではステレオがついてゆくが、海とか山などへ行って車を出たとたん音楽から切離されてしまう。野外では小さな携帯用のステレオカセットは迫力がなくて、実感がわかない。

 そうだとすればこんな時、絶対に必要となるのは、小さいステレオカセットプレーヤーと軽くて邪魔にならないヘッドホンだということになる。

 私は、早速我社の各部署に指令してこの主旨にそった試作機を作ってもらった。出来上った試作機を持ち歩いてみると、意外に迫力もあり音もよく、軽くてポケットにも入る。携帯に何の違和感もない。

 これはなかなかいけると思いながらわが家で一人悦に入っていると、側にいた家内は一人で何を聞いていると思ったのか実に憮然とした顔をしている。そうだ「彼女」のことを忘れたら「彼」は窮地におちいるだろうと気がついて、すぐにヘッドホンを二つ取付けられる様にした。

自宅のオーディオルームにいる盛田氏 ©文藝春秋

 これなら二人で楽しめると、次の週末いつものゴルフの相棒、庄司薫さんをさそい、彼の愛妻中村紘子さん演奏のグリークのピアノコンチェルトのカセットを用意して、ゴルフ場へと同車した。道中ここぞとばかり彼にヘッドホンを聴かせると、大変満足げな笑みを浮かべて聴き入っている。ところが、お互に何か話したくなると、耳はヘッドホンでふさがれて会話が出来ない。いちいちヘッドホンをはずさなければならないのは不便で仕方がない。しかし、そこはエレキ屋、この機械にマイクをつけて、ボタン一つでマイクを働かせ、ステレオを聞きながら、二人が自由に話も出来るというスイッチをつけるようにした。名づけて「ホットライン」というのである。

 これならいけると、私は自信をもった。そこで、社内の製造、販売担当者に商品化を説いてみると、意外や意外、ほとんどの人達が誠にひややか。これは作っても売れないでしょうというのである。