井深大(いぶか・まさる)氏は、終戦直後の1946年に盛田昭夫氏とともに東京通信工業株式会社(後のソニー)を設立した。

 井深氏は幼児教育に熱心で、1969年に幼児開発協会(現・公益財団法人ソニー教育財団)を設立して理事長に就任。ゼロ歳から4歳までの知能の発達が人間の能力を決める、人間として立派な人を育て上げるのが21世紀への課題だ、と語っている。

 社会学者・古市憲寿氏の解説付き。

出典:「文藝春秋」1969年5月号

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ソニー社長などを歴任した井深大氏 ©文藝春秋

 天才や英才は遺伝であり、血統であると昔から信じられてきた。

 モーツァルトが3歳でピアノの演奏を多くの人の前でやってのけ、6歳の時作曲したソナタは今も名曲として残っている。

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 ジョン・スチュワート・ミルは、3歳でラテン語、8歳でギリシャ語の古典を読みこなした。

 宗教思想家であり、科学者としても有名だったパスカルも幼い時から、数学的発見、その他いろいろな面でその天才ぶりがうたわれていた。

 数学者であり、電気磁気学でも有名なガウスは、8歳で等差級数の総和を求める公式を見出している。

 これらの人の、成人してからの業績はいうまでもないが、幼い時から、大人にも見られないような立派な能力を示しているのである。

オオカミ少女の実例

 たった3歳ぐらいでこんなに偉いのだから、生まれつきの天才に違いない、とたいていの人は簡単にかたづけてしまうが、よく調べてみると、モーツァルトも、ミルも、パスカルも、父親たちが教育に熱心で、いずれも計画的にきびしく冷酷だといわれるような特別訓練をしたことが記録されている。ガウスだけは、父親がレンガ職人で別に教育をしたとは伝えられていない。

 しかし、幼い時から、レンガをだんだん積み重ねて、それを勘定することが、ガウスの数学的考えを養ったと想像することは無理であろうか。

 父母の作り出す良い環境が、その子どもに良い影響を与えたのを、ただ遺伝とか血統ということにおきかえられてきたことが多いのではないだろうか。

 一卵性の双生児が肉体的には多くの相似点を持ちながら、その育った環境が異なるとまったく相反するような性格を持つにいたった例は昔からたくさんある。

 生まれた直後からの環境条件とか教育とかが、その後の人間の育ちにどんな影響を及ぼすか──その悪い場合の極端な例として、有名なアマラとカマラのオオカミ少女の話がある。

 1920年10月、インド・カルカッタの西南110キロの小さな村で、たまたま伝道に来ていたシング牧師夫妻が、人間の化け物が2匹、オオカミの洞穴に出入りしているという噂を耳にした。夫妻が村人達の助けを借りて、その化け物をつかまえてみると、2匹はまさしく人間の女の子であった。

 大きい方は8歳ぐらい、小さい方は1歳半ぐらいと推定され、大きい方はカマラ、小さい方はアマラと名づけて、ミドナプルの孤児院で育てることにした。

 はじめは四つ足で歩き、人が手を出すと歯をむいて飛びかかる。昼間は暗い部屋でウトウトしているか壁に向かいうずくまっているが、夜になると歩き出しオオカミそっくりの遠吠ぼえをする。食べ物は手を使わずペチャペチャ口でなめて食べ、腐った肉や生きているニワトリを好んで食べた。

 夫妻は、オオカミ少女をなんとか人間の子どもに戻したいと大変な努力を続けた。しかし、人間への進歩はさっぱり進まなかった。

 それでも小さい方のアマラの方が言葉の面では早く、2カ月目にはのどが渇いた時に「ブー」といったような片言がいえるようになったが、残念なことにアマラは1年ぐらいで死んでしまった。

 カマラは3年ぐらいたって、やっと両足で立って歩くようになったが、急ぐ時はすぐ四つ足になって走り出すありさまであった。シング夫人の大変な努力にもかかわらず、9年たって17歳で死ぬまでにわずか45語しか使えなかったし、知能は3歳半くらいのものだったという。