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ソニー創業者・井深大が49年前に提唱した「ゼロ歳教育のすすめ」

人間として立派な人を育て上げるのが21世紀への課題だ

2018/01/04

source : 文藝春秋 1969年5月号

genre : ライフ, ライフスタイル, 教育, 企業, 社会

2歳児と5歳児の差とは

 ソニー厚木工場の幼児園でも、いま一つの実験を試みている。

 米軍座間キャンプの将校夫人6名に来てもらい、最初は2歳児十数名のグループを相手に、日本語をぜんぜんしゃべらずに、どういうことが起きるかという実験を始めた。

 大人たちは、日米ともにみんな、たいへんな意気ごみで準備に相当の時間をかけて、この実験を見守った。

 夫人たちは幼児教育に経験のある熟練した人たちばかりが選ばれてきたせいもあろうが、子どもたちがけげんな顔をしていたのは最初の10分間だけで、その後はずっと何のこだわりもなく、英語しか使わない授業をまったく自然に楽しんでいるようで、はりきって何が起こるかを期待していた大人たちは、かえって、がっかりしてしまった次第である。

 まだ総計で十数時間しか経過していないが「スイッ・ダウン」(Sit down)「スタン・アップ」(Stand up)など、きいてドキンとするようなきれいな発音が幼児の口から出てくる。

 最近の母親たちのたっての希望で、5歳児の教室でもこの実験を始めた。2歳児の「スイッ・ダウン」「スタン・アップ」に対して、5歳児の方は「シット・ダウン」「スタンド・アップ」「グッドォ・モーニング」と、いわゆる典型的な日本人的発音の悪さを、すでにそなえているようである。しかし、これは直されると、どんどん良くなっていく。

 2歳児の方は、実際のもの、たとえばグリーンが緑であることにはなかなか結びつかないようであるが、5歳児の方は一度に理解してしまう。2歳児も5歳児もしゃべる能力よりは、きいてことがらを理解することの方がはるかに先行しているようである。

 この実験は、当分続行するつもりである。考えてみると、2歳ぐらいの子どもには、英語であろうが日本語であろうが大した差はないようで、言葉よりは、動作とか態度でだいたいのことは判断し、言葉は一種のかけ声のように感じているのではないだろうか。

 それに対して、5歳児の方は英語の時間を大歓迎はするものの、すでに日本語という自分の城が立派に築かれ、そこに侵入してくる英語は異分子として受けとられるような体制がすでに出来上っているのである。

 英仏両国語が慣用語になっているカナダでの多くの実験によれば、9歳までに覚えてしまえば、両国語が入っても何の差し支えもないが、それを過ぎると、最初に入ったものだけがマザータング(母国語)になり、後からの方は、いくらじょうずにしゃべれても真のマザータングにはなりえないといわれている。

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教育といわぬ教育を

 日本のいまの教育は、すべてわざわざむずかしくなるまで待っていて、むずかしくなってから、無理に押し込もうとしているような気がする。こういう例は、語学だけでなく、言葉、漢字その他方々から、いろいろな実証が出てきている。

 考えてみると、大人たちは今まで勝手に自分たちで、母国語はやさしく、外国語はむずかしいと頭から決めてしまっていた。同様に、子どもは童謡で、英語は中学校で、高等数学は高校にならなければ無理なのだという先入観に大人たちがとらわれてきたとすれば、赤ちゃんの本来もっている「どんなにでも高く伸び得る可能性の芽」をつみとってきたということで、長い間大変な罪悪を犯してきたことになる。

 大人が“むずかしい”として与えなかったことがらも、もっていきかた、方法によっては子どもにはなんでもないことがあることを、もう一度考え直してみる必要があるだろう。

 私は、お母さんがたに、あなたの赤ちゃんに対してもっと心理学者になれ、とお願いしたい。母親は四六時中赤ちゃんについており、外から赤ちゃんに与えられる刺激の反応を、だれよりも敏感に感じ確かめられる立場にある。何を赤ちゃんが喜んで受け入れようとし、何を嫌い、排除しようと訴えているかというようなこまかいことは、母親でなければ決してわからないことであろう。

 すべての母親が、自分の子どもをよく見てよい刺激を与えることによって、子どもはどんどん伸びるであろう。知能の発達は連鎖反応で知能の発達を促すことになるのである。

 無理に押しつけることは、もっとも避けなければならないことである。幼児のバイオリンの学習は最初は5分間ぐらいからといわれている。厚木の2歳児の実験も、次から次へと遊戯の種類を変化させて興味をつなぐということに大きな重点があるが、先生がたの訓練のみがこれを解決している。興味を失ったものを強制していくことぐらい、子どもにマイナスの作用をするものはない。