本田技研工業(ホンダ)が創立されたのは1948年。当時、創業者の本田宗一郎は41歳だった。
この手記が月刊誌「文藝春秋」に寄稿されたのは、それから7年後のこと。まだ世界的にはまったくの無名企業だったが、オートバイにすべて情熱を注いでいた男の立志伝からは、その勢いと自信の程をうかがうことができる。
出典:『文藝春秋』1955年10月号「バタバタ暮しのアロハ社長」
(なお、転載にあたって、現代読者に読みやすくするため、旧かな遣い、漢字表記を一部改めた)
ただ一筋につながる
先日私は、ある映画館で「スピードに命を賭ける男」というアメリカ映画を観た。そしてえらく感動した。もっともその感動は、私なりのものであって、多くの人々に解って貰えるかどうか、ちょっと疑問ではある。
自動車のレースに生命を賭け、それに生き抜こうとする男の物語は、50歳になって未だに若い気でいる私の血を燃やしてくれた。事実肉体的にも、私がもっと若く溌溂としていたら、……私はこんな風にのんびりと、映画の話などしていられなかったかも知れぬ。自分で競走用自動車に乗っていたろう。
主人公を演じた男の不敵の面魂は、自分で言うのも可笑しいが、元気な時代の私を彷彿させるようで、大へん気に入った。あんな男が現実に生きていたら、ガソリンの匂いが、好きで好きで耐まらない私の趣味が、本当に理解して貰えるだろう、と思った。
競走用自動車とオートバイの差こそあれ、その生き甲斐には差違はあるまい。耳たぶを切る風の声、逆転する風景、それは全く血湧き肉躍るという形容が、そっくり当て篏まるものだ。それでいて、細心の神経を必要とするこの競技は、真に男性的のものなのである。
未だ私は、自らの人生を顧るという、大袈裟なことの出来る年齡にはなっていない。人生50年、教訓もなく、劇的な波瀾もなかった。ただ平凡にオートバイのエンジンに取っ組み、他愛のない悪戦苦闘を続けてきただけである。しかし、それでいて、ただ一つ言えることは――それは、一本に打ちこめる仕事をし続けてきた、ただそれだけなのである。
映画の主人公が叫んだ言葉に、最も私は気に入ったのがあった。私と競走とどちらを選ぶと愛人に迫られて、「俺が競走するのは、何も記録と闘い、相手と闘っているのではない。俺は俺の生命を相手にしているんだ。競走に出なくて、どこに俺の生涯があるんだ!」
然り、私もまた自らの生命の命ずるままに生きてきたのである。
ガソリンの芳香
明治39年、浜松市在の鍜冶屋の伜に生まれた私は、鉄を撃つ槌の音を子守唄ときいて育った。今日になっても、騒音の中に生きている次第だが、私にはけたたましい音が身についた、ぴったりしたものなのだろう。
物ごころつくかつかぬかに、くず鉄を折り曲げ、訳のわからぬものをこしらえ、私はいとも満足していた。好きな悪戲には時間は気にならず、着物の袖は垂れ落ちる青ぱなをこするので、合成樹脂でぬり固めたように真黒になった。「冬などカチンカチンになるので、可笑しいやらで、叱れなかったね」と、母はよくその当時を思い出して苦笑する。
三つ子の魂百まで、というが、子供の時代の思い出などを、ひょんな事で人に話したりすると、本気でもあるまいが、その人は大抵笑ってこう言うのである。
「今でも大して変わらないのじゃないですか」
なるほど、と私も仕方なしに苦笑する。
金魚が赤いのばかりじゃ面白くないと、職員室の金魚鉢をひっかき回し、青、黄色のエナメルを塗って放してやり、校長に大目玉を食った話。
磁石の磁力をそっと盗んでおいて、理科の時間に先生が失敗するのを見て大喜び、授業が終り先生が去ってから、自らうまくやってのけて拍手喝采、得意満面の私、等々、思い出してみれば、生まれついて碌なことをしていない。
生家の隣に石屋があった。そこの親父の作っている地蔵の鼻恰好が、どうしても気に食わなかった。おれならこう彫る、あそこを削る、と独りで想像図を完成していたが、どうもそれだけでは我慢がならぬ。
昼食休みの親父のいない暇に、私は素早くのみと金槌をもち、コチンコチンと当ってみたが、石の硬さは思う様な型に容易にならぬ。いじり回している間に、鼻が丸ごとぽろりと欠け落ちてしまった。これには私も仰天して逃げ出したが、衆目の一致するところ、犯人は私だ、と逃げも胡魔化しもならず、目の飛び出る程怒鳴り飛ばされたこともあった。
まずは、こと程左様に、生まれついて賞められることをしたことのない私だったが、完全に魅入らせられ、参ってしまったものに自動車がある。小学校4年生頃、村に初めて動く車体が、青い煙を尻からポツポツとふきながら、通ったのである。
私はそのガソリンの匂いを嗅いだ時、気が遠くなる様な気がした。普通の人のように、気持が悪くなってではない。胸がすうとしてである。その耐まらない香りは幼い私の鼻を捉え、私はその日から全く自動車の亡者みたいに、走るその後を追っかけ廻した。金魚のふんだと笑われながら、自転車がすり切れる程、ペダルを踏み、自動車の後を追って、ガソリンの芳香をかぎ悦に入っていた。
道に油がこぼれていると、それに鼻をくっつけ、匂いを存分にかぎ、時間の経つのも忘れた。そしてその日の御飯の、何と美味しかったことか。
その頃から抱いた私の最大の望みは、自分の手で自動車をいじり、運転し、そして思い切り素っ飛ばしてみたい、ということだった。その念願の達成出来るのは、何時の日か?
しかし、必ず来ると私は信じてやまなかったのである。