日本美術がゴッホに自由をもたらした
色についても同じこと。《寝室》でゴッホが描いたのは、南仏アルルで先輩画家ゴーガンと共同生活する予定の部屋。そこが青色の壁と緑色の窓枠を持っていたかどうかは知らないが、ゴッホにとって希望を感じさせる大事な場だったのはまちがいなかろう、だから彼は清々しさを感じさせる色を画面に置いた。
描きたい感情を十全に表すためなら、かたちも色も思うがままにすればいい。遠近法や陰影法といった、西洋美術の伝統が培ってきたルールに縛られる必要なんてないのだ。絵画はもっと自由でいい。ゴッホはそんな考えを、西洋とはまったく異なる伝統と流儀を持った日本美術から学んだ。
《寝室》をいま一度見ると、画面にはいろいろなものが描かれているというのに、一切の影がないことにも気づく。それによって絵の印象がぐっと明るくなっている。モノの影を描かないというのも、日本美術の伝統であって、ゴッホはこの点でも日本を真似ている。
もうひとついえば、机も椅子もベッドもドアも、ゴッホはすべてのものに輪郭線をくっきり描きこんでいる。これも浮世絵をはじめとする日本美術に特徴的な手法。人のいない部屋の中で、モノの存在感を際立たせるために、よく目立つ輪郭線が引かれたのだろう。
なんと徹底していることか。日本美術に惚れ込み、これを手本にしようと決めたが最後、ゴッホは日本美術を大いに学び摂取して、そのエッセンスを見極めることに没頭した。そうして学びを自作に活かすべく、効果的な手法を短期間で編み出し実践していったのだった。
ゴッホ自身が激しく極端な性向だったのはたしかなようだけど、いつも情念に任せて筆をふるっていたとみなすのはちょっと違う。知的好奇心と探究心にあふれる面もはっきりあって、そんなゴッホの姿は、日本美術を色濃く反映した今展の作品群からはっきり浮かび上がる。
葛飾北斎、安藤広重、溪斎英泉らの浮世絵の数々も、ゴッホの絵とともに随所に並んでいる。適宜参照し、見比べながら会場を巡りたい。