受け入れられる作品と受け入れられない作品があって……
北村 子供の頃からプリンセスに全く興味がなくて、ディズニー映画なら悪代官と戦う『ロビン・フッド』や動物もののほうが好きでした。とくに興味はなかったんですが、大学に入って『シンデレラ』に関する民話の授業でバジーレの古典的なおとぎ話を読んだら、ディズニーの『シンデレラ』と違ってすごく面白かった。
こういう優れた古典から取っているのに変に脱色しているし、そのくせディズニーは自社の作品を他の会社やクリエーターが使うことに冷たいので、気に入らないなと。
武田 「夢の国」とうたっているわりには、権利関係にやたらと厳しいですよね。女の子向けにパッケージ化された作品性が受け入れられなかったこともあるんでしょうか。
北村 受け入れられる作品と受け入れられない作品とがあって、本書では『アナと雪の女王2』のヒロインが、ちょっとニセ科学も入ったような完全にスピリチュアルな暮らしを実践することをまるで全肯定したような描き方に疑問を呈しました。女性はスピリチュアルなものが好きだよね?みたいなステレオタイプを強化しかねない「自己実現」のストーリーは問題含みだと思いました。
一番好きなのは70年代のデイヴィッド・ボウイやT・レックス
武田 「男らしさの檻」を扱った考察のなかにある、「レッド・ツェッペリンみたいにならないためにはどうしたらいいのか」という問いかけが自分の体に刺さりました。
僕はハードロックやヘヴィメタルが好きなので、今日もオジー・オズボーンのTシャツを着ているわけですが、彼の妻シャロン・オズボーンが、レッド・ツェッペリンがいかに女性ファンの忍耐を試すような行為をわざわざやって面白がっていたかを回想する話が出てきます。いわゆるグルーピー、熱狂的なファンに対するモラハラがひどいバンドだったと。
北村 シャロン・オズボーンなのでわりと盛ってるかもしれないですが、私ですらひどいと思った、みたいなことを語っていますね。
武田 去年『マチズモを削り取れ』という本を書いたんですけど、ロックの持つマッチョイズムについても考えなければいけないなと。以前、北村さんも批評していたレーナード・スキナードなんて、アメリカ南部の保守的な男性像そのものの“Simple Man” という曲もあるくらいだし。
北村 ただ、そういうバンドでも時代をおってか聴いていくとマッチョイズムがちょっと揺らいでいる歌詞があったりして、面白いんですよね。例えばツェッペリンの“Good Times Bad Times”は、昔は男らしいってこういうものだと思ってたけど最近ちょっとよくわからない、みたいな歌詞から始まる。ツェッペリンの場合こういう「ためらい」は恋愛のせいだったりしますが、アイデンティティの揺らぎが歌詞に垣間見えるとすごく面白い。