北海道ニセコといえば、コロナ前は外国人スキー客でごった返し、スキー場のある倶知安町は公示地価や路線価の値上がり率で全国上位の常連を占めるなど、まるで日本ではない外国人の街の様相を呈してきた街だ。

 2020年から続くコロナ禍の影響で21年および22年と外国人の来訪は激減。増え続ける需要を当て込んだ宿泊施設や飲食店舗など、さぞかし大打撃を受けただろうことは想像に難くない。そこでスキー客の来ない7月のグリーンシーズンに現地を訪れてみることにした。

ニセコのスキー場 ©iStock.com

 ニセコは北海道の積丹半島の付け根あたり、岩内郡岩内町、共和町、虻田郡倶知安町、ニセコ町、磯谷郡蘭越町あたりの地域の総称である。このうち倶知安町、ニセコ町、蘭越町一帯が、スキー場エリアに属することから、狭義ではこの3つの街をニセコと呼ぶことが多いようだ。

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 ニセコのスキー場は、ニセコアンヌプリと呼ばれる、標高1308mの山を頂点に4つのスキー場で構成される。ニセコから山に向かって左側からニセコアンヌプリ国際スキー場、ニセコビレッジスキーリゾート、ニセコ東急グラン・ヒラフ、そしてニセコHANAZOMOリゾートだ。アンヌプリは山容が大きく、したがってゲレンデが広大で迫力があり、真正面に蝦夷富士と称される羊蹄山を望みながら豪快に滑り降りるスリル満点のゲレンデが続く。

 KONAYUKIという日本語で外国人も表現するパウダースノーが、ニセコの代名詞ともなっているが、現地に立つと4つのスキー場が、アンヌプリ頂上付近で繋がっていて、どのスキー場もまるで一つのゲレンデのように滑ることができる。これは国内のスキー場の中でもなかなか味わえない豪快さだ。

バブル期の“第一次開発ラッシュ”

 このスキー場は最初から外国人が来て滑っていたわけではもちろんない。古くはニセコ温泉として知られ、温泉とスキーを楽しめるということで、道内の一部の人たちに親しまれていた程度の素朴なエリアであった。ここに最初に目を付けたのが東急グループである。1980年代のバブル期頃に開発が進められたのが、今ではニセコエリアの中心部ともいわれる比羅夫(ヒラフ)付近だ。また東山エリアでは西武がプリンスホテルを建設するなど最初の開発ラッシュが始まったのがこの頃だ。

 夏のゴルフ場と冬のスキー、そして温泉。バブル期のレジャーとして各社は開発に力を入れてきたが、情勢が変わるのがバブル崩壊だ。ニセコは地元客、特に札幌などに住む人たちからは、車利用2時間程度でアクセスできたが、東京などからの観光客といえば、そのほとんどが札幌市内観光を楽しむ程度。スキーといえば、上信越のスキー場が近く、ニセコのパウダースノーのことは知っていても、そのためにわざわざ北海道にまで出かけるのは、ごく一部の熱狂的なスキーヤーに限られていた。