労働法改革はまさに「古臭い規制」の本丸だった
共通点は2つある。
まず、小泉元首相は「自民党をぶっ壊す!」と語り、派閥の論理を否定して、民間から竹中平蔵氏を最大の課題である経済財政政策の中枢に据えた。一方のマクロン氏も左右の既成政党をバラバラにしてしまった。マクロン新党「共和国前進」には新人が溢れ、内閣の半分は民間から起用している。
さらに小泉首相は「構造改革なくして景気回復なし」と豪語し、「聖域なき構造改革」を推し進めたが、マクロン氏はオランド大統領の時代に経済産業デジタル大臣として、大胆な規制緩和に着手している。今年の大統領選挙でも「フランスを古臭い規制の封鎖から解放する」ことを訴えた。労働法の改革はまさに「古臭い規制」の本丸であった。
小泉はネオリベラリズム/マクロンはソシアル
もっともこの「共通点」は上辺だけのことであって、夏以降のマクロン大統領の動きをみてみると、この2人の政治的スタンスはむしろ正反対である。まさに、その相違点からマクロン政権の特異性がよりくっきりと浮かびあがってくる。
実は、さきにマニフェストから引用した「古臭い規制からの解放」というマクロン大統領の言葉には続きがある。「同時に、出発点での不公平さを見きわめ、フランス国民がその人の人生において成功できるように保護する」というものだ。
小泉元首相やブレーンだった竹中平蔵氏らが拠って立っていたサッチャー、レーガン以来の新自由主義(ネオリベラリズム)は、「民営化と規制緩和は善。公共(官)は悪。自由にすれば市場原理がすべてを解決する」という一種の“信仰”である。そこでは、人は出発点において平等だが、努力が足りないから貧乏になる。だから、成功できるように保護する必要などはない。
マクロン大統領は、新自由主義一辺倒ではなく、対極にある「ソシアル」(共産主義とは別の「社会」主義)の考え方を大きく取り入れている。公共の役割も認めながら調和のとれた理性による新しい社会を構築しようとしているのだ。
労働法改革にしても、もともとフランスの労働法は高度成長期に共産党に対抗するために既得権を厚く保護し、解雇を困難にしているうえに、煩雑な手続きが伴う。世界でも例を見ない法律だということは、どの専門家も認めている。これを整理整頓して、海外から投資をしやすくし、中小企業の負担を軽減して雇用促進を図ろうというものだ。
この改革は、社会保険制度、失業保険、職業教育の改革ともワンセットになっている。一人ひとりの技能アップをしつつ各個人が多様な働き方をできるようにしなければ、間近に迫ったAI時代に300万人の失業が出る、というビジョンに基づいた施策だ。ここでも、新自由主義と違って、たとえ失業が減ったとしても、貧困労働者が増えるのではダメだというスタンスだ。
マクロン大統領と小泉元首相は「戦い方」も大きく違う。
小泉元首相は二項対立の図式をうまく作り上げ、相手側に「抵抗勢力」というレッテルを貼り、選挙では「刺客」を送って叩き潰したが、マクロン大統領は、労働法改正にあたって2017年7~8月に労働組合や経営者団体とじっくり話し合いを行った。
私は、労働法改革に批判的なある労働組合員にこう声をかけたことがある。「フランソワ・フィヨン(サッチャー式の改革を標榜していた共和党の大統領候補者)でもマクロンでも同じですね」
ところが「いや、全然違いますよ。フィヨンだったら組合を潰しただろうが、マクロンは組合を尊重している」と意外な返事が返ってきた。「そもそもの政府原案はもっと新自由主義的で、組合の役割はないに等しかったが、ずいぶん改良されたんだ」と、いつの間にか称賛さえした。