「挑戦」は誰のものでもない。それぞれの「挑戦」があっていい
――最後に編集部からひとつ質問をさせてください。いま文春オンラインでは探検家の角幡唯介さんが「私は太陽を見た」という連載をされています。角幡さんは情報が溢れる現代において「探検とは何か」「真の冒険とは何か」を突き詰めて考えている方ですが、お二人は現代における冒険についてどう思われますか?
望月 山の世界ではかつて未踏峰へのチャレンジがあり、そこからクライミングや岩の世界が続きました。ほぼすべての山が登り尽くされた21世紀は「最速登頂記録」などの速さが求められていると思います。
僕も人がやったことのないことに挑戦してきたのかもしれないけど、もっとシンプルに、その行動が自分自身で冒険や探検だと思えれば、それでいいのかなと思っています。小さい子どもが一人で買い物に行くのだって冒険です。初めてやることはすべて冒険ですから、誰かとの比較ではなくいろんなチャレンジの仕方があっていい。それぞれの冒険があるんです。言い換えれば、すべての人に納得してもらえる冒険でなくてもいいという考えですね。「チャレンジ」は身近なものであってほしいじゃないですか。
田中 僕も「人生は挑戦」と言ったりしますが、人間は20代が体力のピークであとは下降線を辿るだけです。人生100年と考えると、残り4/5はずっと下降していることになる。自分の肉体的「下降」に向き合えば向き合うほど、挑戦は関係のないものだと思いがちです。でも、心や気持ちは成長させることができるはずです。
子どもが初めて鉄棒で逆上がりをするのもチャレンジですし、小学生や90歳、100歳のおじいちゃんが富士山に登るのもチャレンジ。僕らのような体力のある世代とは全然意味が違うわけです。逆上がりができなかったり、山頂に到達できなくても一歩を踏み出しただけで立派な挑戦だと思います。ビルで窓ふきをしている人が1日で100枚拭くぞと決めたらそれもチャレンジですし、プログラマーが複雑なプログラミングを一日でやるぞと決めるのも挑戦だと思います。
望月 僕も同じことをよく考えるな。陽希君とは共通するところがありますね。実は39歳の僕自身はまだ体力の衰えは気にしたことないけど、それでも自分より年齢の上の人が頑張っているのを見ると刺激を受ける。まだまだやれるぞ、と。
田中 本当にそうですよね。年齢や体力に関係なく新しいことに挑戦をしている先輩をみると、僕もまだまだひよっこだなと思います。
望月将悟 Shogo Mochizuki
1977年、静岡県葵区井川生まれ。静岡市消防局に勤務し、山岳救助隊としても活動する。日本海側の富山県魚津市から日本アルプスを縦断して、太平洋側の静岡市までをテント泊で8日以内に走り抜けるレース「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」で4連覇。2016年は自ら自己ベストを上回り4日23時間52分でゴールした。2015年東京マラソンでは、40ポンド(18.1kg)の荷物を背負って、3時間06分16秒というギネス記録でフルマラソンをゴール。
田中陽希 Yoki Tanaka
1983年埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりアドベンチャーレースチーム「イーストウインド」に所属し、世界のレースに参戦する。2014年、自ら企画した挑戦「日本百名山ひと筆書き」がNHK BSで放映され注目を集める。その後、「日本二百名山ひと筆書き」も達成。2018年は「日本三百名山全山ひと筆書き」に挑戦する。詳しくは「グレートトラバース3」のサイトで。