フランス革命を背景に、波乱の人生を生きた人々を描いた池田理代子さんの『ベルサイユのばら』(以下、『ベルばら』)。誕生から50年経っても色褪せることのない魅力を放つのはなぜなのか。作家の三浦しをんさんがその秘密に迫った対談を、『CREA』(2022年秋号)から転載します。(全2回の2回目。前編を読む)
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三浦 カッコよさもさることながら、私が何より惹かれたのはオスカルの深い優しさでした。彼女は、自分と身分の違う人たちの苦しみにいち早く気づいて、この人たちと一緒に何かをしなきゃいけないと行動に移す。優しさと強さと想像力に溢れている彼女の生き方は、私にとっての、というか時代や国境を越え、すべての人間にとっての星ではないかと。
創作物の中の女性が、「理想の女性像」として描かれることはよくあります。でも女性の登場人物を通して、「理想の人間像」を提示する作品は少ない。けれど『ベルばら』を始め、少女マンガの優れた作品が、非常に早いうちからそこを追求してきたんですよね。オスカルは、読者の性別に関係なく、人間はいかに生きるべきかというお手本であり、自分もこうありたいと仰ぎ見ながらここまできたのだなと、読み返すたびに感じます。
池田 ありがとうございます。
三浦 と同時に、もうひとりの主人公、マリー・アントワネットの生まれ持った王女気質もとても魅力的です。マリーは、嫌悪していたルイ15世の愛人デュ・バリー伯爵夫人に声をかけなくてはいけなくなった場面で〈きょうは、ベルサイユはたいへんな人ですこと〉と言いますよね。これは実際にマリーがそういうふうに声をかけたと記録が残ってるんですか。
池田 そうなんです。ディテールも史実を踏まえて描いています。
三浦 友だちとライブとかに出かけて人混みを見ると、ほとんど反射的に誰かがあのセリフを言うんです(笑)。このくらいファンの日常に染み込んでいる名言です。
池田 以前、オランド前大統領が来日したとき、私もレセプションに呼ばれたのですが、大統領に随行してきたフランス人外交官が私に寄ってきて、「僕はあなたの作品を読んで、フランス革命を勉強しました。あれを読んでいなかったら、マリーのことはもっと違う目で見ていたと思います」と言ってましたね。