相馬は高校時代も進学コースに籍を置きながら、他の選手とは違う時間でメニューを組むなど練習を工夫していたという。3年生の12月の全国高校駅伝まで参加した上で、一般入試で筑波大に合格した。だが、文武両道という言葉に水を向けると、本人は苦笑する。
「僕の中ではあくまで陸上競技をやる上で一番伸びるチームがココだと思ったからというのが大きかったんです。だからそこまで文武のバランスを考えたというわけではなくて……(笑)。ただ、国立大の陸上部ということもあって、医学部も含めて色んな学部の人が来ます。いろんな立場で陸上競技に取り組む人と話す機会があるし、多様な価値観や考え方に触れることができる。それは競技をやる上でもとても勉強になっています」
筑波大の山登りといえば、箱根ファンの記憶に残るのが80回大会の鐘ヶ江幸治だ。記念大会のため特別に構成された日本学連選抜チームの一員として5区を務め、並みいる強豪チームのランナーたちを押さえて区間賞を獲得。実は箱根駅伝の初代MVP(金栗杯)を獲得したのは、筑波大所属の鐘ヶ江なのだ。
「抜かして次、抜かして次という感じで、陸上人生で一番楽しいレースでした」
そう本人が振り返るように、振り子のように腕を振る機械的なフォームと相まって、全国に大きなインパクトを残した走りだった。相馬はそんな先輩からの助言も得て、新たな“山の神”になるべく、天下の険へと挑む。
高校では県大会にすら出られなかった
2日の往路を終えると、復路の注目は8区を走る慶應義塾大学・根岸祐太だ。おそらく根岸は今回の箱根駅伝に出場する選手の中で、最も高校時代の実績に乏しい選手だからだ。
「3年生の夏は5000mで17分近くかかって、県大会にすら出られませんでした。練習自体は北海道に合宿に行ったり、結構しっかりやっていたんですけど……。その悔しさもあって、大学でも競技を続けようかと思ったんです。当初は箱根駅伝なんてレベルが高すぎて目標にすらなりませんでした」
高校時代から故障があったわけでも、練習をしていなかったわけでもないという。それでもなかなか結果はついてこなかった。そんな根岸はなぜ、突然学連チームに選ばれるほどに覚醒したのか。
「大学に入って一番変わったのは“意識”の部分です。練習がガラッと変わったとか、そういうことはなくて。例えば今年の夏合宿なんかも初日から『こんな練習できるわけないだろ!』と思うような練習だった。でも、『絶対無理だ』と思わずに、何とかやってみると、意外と最後までできるものなんです。そうやって自分の意識から壁を無くしていったことが大きかったと思います」
箱根駅伝が人気コンテンツになるにつれ、そのレベルは非常に高いものになっている。各大学ともスカウトに力を入れ、才能のある選手の奪いあいともいえる現状もある。
そんな中で、コツコツと努力を重ねて、考え方を変えることで大舞台までたどりついた遅咲きのランナーの姿は、多くのファンを勇気づけるのではないだろうか。
「周りの人からもよく『なんで慶應はいつも箱根に出ていないの?』って聞かれるんです。今年こそは慶應もいるんだぞというアピールができる走りをしたいですね」
伝統の「K」を胸に走る根岸には、まだまだ自分の限界は見えていないという。
初めて走る箱根路での目標は?
さて、ここまで至った背景も箱根路へのたどりつき方も全く違う3人だが、ひとつだけ同じ答えを返した質問があった。
――初めて走る箱根路での目標は?
「まずは自分が走ってその経験をチームに持ち帰りたいんです。そして次は――自分のチームみんなで箱根に帰ってきたいんです」
彼らが肩から掛ける色のないタスキにも、多くの仲間の想いが詰まっている。優勝争いやシード争いとは違う、記録に残らない熱戦にも、ぜひ注目してみてほしい。