すなわち、自動車をスマートフォンやIoT機器のように扱える未来が期待されているわけである。たとえば、生体認証でドアが開き、シートは自動でドライバーに合わせた位置に調節される。車に乗り込み、音声入力で目的地を告げれば、自動的に車がルートを割り出し、走行を開始する……走行中はプロファイル情報にもとづき、好みの音楽や映像が流れ、進んでいるルート上に事故があれば、最短の迂回ルートを割り出す。ドライバーが居眠りしそうなら、最寄りの休憩できる施設を提案し、万が一、病気などの発作で意識を失った場合には、自動で緊急通報を行う……こうしたスマート化の流れのうちに、CPDを位置づけることが求められているわけである。
「CASE時代」に、日本は“自動車大国”であり続けられるか
こうした背景から、いまや車内放置対策の問題は、単にメーカー側の「CPDを導入する意向」によってのみ決定されるものではなくなっている。日本国内の自動車産業が、次世代のキーファクターたるスマート化の流れを主導しうるかに関わる問題なのだ。スマートフォンをはじめ、IoTやAI家電といった分野で後れを取ってきた国内メーカーであるが、基幹産業たる自動車分野で二の舞を演じるわけにはいかない。
見通しは明るくない。たとえば先のヒョンデは2019年、指紋認証により車両のロック解除やシート・ミラー位置の調整、オーディオ設定の呼び出しなどを自動で行うシステムを世界で初めて市販車に導入した。さらに2021年内に顔認証のシステムを実装予定であり、スマート化の流れにおいていち早く存在感を示している。その他、自動車を「IoT機器の延長」のように捉えるEV関連のスタートアップ企業も、CASE時代の強敵となりうるだろう。
先進国の先進性は「民度の高さ」などにあるのではなく、技術と制度の練度にあり、これを通じて張り巡らされるセーフティネットの強固さにある。今後もし、他国の技術であれば救えた命を救えない状況に陥ったとき、私たちはなおこの国を「自動車大国」と呼ぶことができるだろうか。