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 筆者は実際に彼らに会って取材をし、そのときの印象どおり、彼らが女性に対してフレンドリーで敬意を持っている人物だというイメージを与える記事を書いてしまった。その記事は現在でも、書籍やWEBで読める。

 その時点で性加害のことを知らなかったとはいえ、記事を書いた自分に、掲載した媒体に責任はないのだろうか。すっかり騙されてしまった、という落胆がある。

「冗談だとしても笑えない」一部報道に思うこと

 筆者のように性加害をなくしたいと願う個人が抗議の声を挙げようと思うとき、難しいのは、どうやって同じ気持ちを持つ人たちと連帯すればいいのかということ。

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 その相手は多くの場合、同じ女性なのだが、今回のケースだけ見ても、ホステスなどの水商売の女性を差別する女性もいるし、マスメディアで発信する立場にありながら我関せずとスルーしようとする女性もいる。筆者も、スルーしていると思われても仕方がない。

 また、私生活では女性に優しい男性でも、今回の事件を売れっ子俳優がスキャンダルで失速したことを見世物としてただ楽しむ人もいるし、性加害の恐ろしさや被害者の心の痛みよりドラマ降板などの組織の都合を重要視する人もいる。

©文藝春秋

 第一報を出した「週刊新潮」の記事(「香川照之」銀座高級クラブでワイセツの裁判記録)も、性加害は社会的に許されないという媒体としての立場をクリアにせず、人気者の香川がこんなオイタをしていたといった論調で皮肉たっぷり。

 彼が被害者女性の胸を直接触ったことについても「童心を失わず、無邪気な面があるのかもしれない」「(社会心理学を学んでいたから)あえて狼藉を働き、なにかを分析しようとしたのだろうか」と書いていた。冗談だとしても笑えない。こうして加害を相対化することで、被害の深刻さは伝わらなくなってしまう。「罪」よりも「罰」にフォーカスする報道の仕方にも、問題があるのかもしれない。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。