1984年から89年にかけて山口組と一和会の間で起こった“山一抗争”は、死者29名、負傷者70名(警察官、一般市民含む)を出した史上最区の暴力団抗争である。
ここでは、その「一和会」の副会長兼理事長を務めた加茂田重政氏が半生を語った『烈侠』(彩図社)より一部を抜粋。ヤクザの親分の“マイホーム主義”な意外な一面を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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ヤクザの親分のマイホーム主義な一面
テレビに出とった加茂田重政、あれはあれで虚像とかじゃなくて、あのままなんやろ。わしはようわからんが、子どもらもそう言うしの。そうなんやろ、やっぱり。わしはむちゃくちゃ気が短いしな。
でも、堅気の者、息子の連れなんかにはめちゃくちゃ優しいて言われてたみたいや。他の極道からしたら、「性格がキツいキツい」って言われるけど、それは稼業のことでね。わしはね、若い衆には厳しくなかった。ぜんぜん厳しくないと思うわ。若い衆たちは、わしには厳しいこと言われてないはずや。
そのかわり、若頭の飯田が来たときはすごい厳しく部屋住みの子に言うたりしてたけど、わしはそれ見てても知らんふりやし。無頓着と言ったらおかしいけど、若頭が言うとるのに、わしがさらに言うたら、若い衆は逃げ道がないやろ。そうやね、自分で考えろと、関係ないみたいな感じで放任にする。おのれの器量で伸びろ、という考えや。
たぶん今でも、ヤクザの事務所に行くと「メシ食ったか」というのがありふれた挨拶やろ。部屋住みがおるところでは、必ず白米が炊いてある。わしは部屋住みとは一緒にメシを食うとった。部屋住みをおちょくりながらね。
わしが自転車にパーッと乗って、部屋住みの者が駆け足でついてくるやろ。したら「後ろ乗れ」って言うて、二人乗りしたりとかな。わしが「肩揉んだろ」言うて肩を揉んでやると、前より肩がこってもうた、とか。部屋住みの者からしたら、親分に手間を取らせとると、恐縮しとるわけや。
人間は冗談言うほうが好きでな。そういう笑かしてくれる者が好きやった。無口な者はわしは苦手やと思う。向こうがしゃべって笑かしてくれるのが好きなんや。
ゴルフなんかもしとったよ。うちでやってた加茂田実業がコンペをやってて。ゴルフ場を貸し切りにして、賞品の一位は車とかや。けど、わしは常にフェアウェイに乗る。若い衆が球をフェアウェイに動かすんや。どこ行ってもフェアウェイに乗るようになっとる。どこに行っても次に乗っとんねん。だから、常にバーディーかパーやねん。そのうちわしは「主催者やから、そこで見とってください」て言われてた。